洗礼を待つ

秋山 弘俊

作者によるコメント

私は卒業後1年間、真言宗総本山である高野山で修行が決まっている。将来実家の寺を継ぐために、僧籍を取らなければいけないからだ。就活や進学など各々の進路を1から準備しなければいけない友達からはよく羨ましがられたが、私からすると決して有難くなかった。長男の自分を跡取りとして一方的に知っている檀家さんに街中で声をかけられたり、今後の進路について首を突っ込まれたり、中学あたりからプレッシャーや煩わしさを感じていた。将来なりたいもの、住みたい場所などを妄想しては、現実に気を落としまくっていた。そんな私も少しは大人になり、将来寺をもっと活発な場所にしたいと思っている。そこで仏道に入る前の気持ちとして、牢屋に入るのと変わらないだろうという素直な気持ちを込め、作品を作った。

担当教員によるコメント

火葬は仏教の開祖である釈迦が亡くなった際、彼の遺体が火葬されたことが「仏教式火葬」の始めとされている。故人の魂を次の世界へ送り出すための儀式であり、火葬の温度は800〜1200度。秋山くんは土で自刻像を作り、火葬の温度で焼き上げたテラコッタ作品の自刻像を制作した。実家がお寺の秋山くんは、卒業後に1年間の修行期間を経て僧侶の道へ入っていく。
自刻像へは「南無阿弥陀仏」とびっしり写経されており、「南無阿弥陀仏」は「仏様を信じておまかせする」という意味。仏門へ入る前の自身を次の世界へ送り届けるイニシエーションとしての彫刻行為は、自己性を超えてプリミティブでありながら、制度、掟、規則、規律といった社会性を包括するテーマへと昇華されている。

准教授・木村 剛士