初期の時代----技術・ヴィジョン・利用者たち 1839-1875

ステレオ写真とステレオスコープ

写真術の草創期において、この表現媒体が驚くべき大衆性を獲得していくのを助けた、ひとつの大きな要素を見逃すことはできない。それはステレオ写真およびステレオスコープー写真のテクノロジーと娯楽とを結び合わせた映像とその装置一の発明である。ステレオ写真とは、同じ場面をとらえた二点のほとんど同一の画像を左右に並べて堅い支持体に貼りつけたものであり、これを両眼で覗く装置を介して眺めると奥行きのイリュージョンが生じる。これが19世紀後半の鑑賞者たちをとりこにした。初期にダゲレオタイプを使ってこの効果をつくり出そうとした例では、金属面の反射がイリュージョンの妨げになり、十分な成功を得られずにいたのだが、コロジオン法とアルビュメン・プリントが他を凌駕する技法として確立されると、ステレオ写真の視覚はより説得力を増し、大きな市場性を獲得した。蒸気を動力とする機械により大量に複製され、流れ作業でカードに貼りつけられたステレオ写真は、通販や訪問販売によって、特にアメリカの裕福な顧客たちのもとへ手渡されていった。出版者たちが提供したステレオ写真のための素材となる図柄の選択の幅は大変なもので、風景、モニュメント、同時代の出来事など、しばしば通常のフォーマットの写真画像としても供給されていたものの他に、地球上のさまざまな職業や労働の姿を伝える教育向けの画像、彫刻を主とする芸術作品の複写画像、ポピュラー・ソングや逸話を絵解きする画像など一どれもが中産階級の観賞者たちに、これまで味わったことのないような娯楽の素材を提供するものであった。その大衆的な人気ぶりは、この装置をめぐる歴史上の記述からも明らかだが、ただしステレオ写真は、一時的に流行した玩具の類とはちがった何ものかとして見られるべきだろう。1851年のクリスタル・パレスでの万国博では、初めてステレオ写真が公衆に向けて展示されたのだが、その折にヴィクトリア女王が賛辞を寄せた頃から、ステレオ写真を購入し、交換し合い、眺めることが本格的な熱狂の的となっていく。

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ホームズ=ベイツ式ステレオスコープとステレオ写真
(図26)

アメリカではオリヴァー・ウェンデル・ホームズが、1859年と1862年とに『アトランティック・マンスリー』誌に二つの長い論文を寄せ、それを意義深い教育上の道具として推奨している。ホームズは「芸術家として学者として……機械工として、また他のどんな立場の人でも見たいと欲するもののそれぞれの形状を見つけ出すことのできる包括的でシステマティックなライブラリー」17〕を夢想しながら、そこでは未来において、物そのものより画像の方がもっと重要になり、事実上、物は用済みになっていくだろうとまで語っている。彼はまた、安価で簡素な形のヴュアー(図26)を考案し、一般の人たちがその小さな道具を手にすることで彼のいう教育上の利益を享受できるようにした。19世紀後半には、ステレオ写真は20世紀にテレビが果たすのと同じ役割を担うようになり、娯楽、教育、プロパガンダ、精神的高揚、美的な栄養分などを供給していった。テレビ同様、観客側は、理解を深めていくことよりも受け身的な親しみやすさを追い求めることの方へ向かった。これまでは家庭用の気晴らしのための娯楽として理解されることが多かったのだが、近年では、ステレオ写真が19世紀人の態度や物の見方に及ぼした影響を主題とするシリアスな研究にも取り入れている18)。 19世紀前半のこの表現媒体の進化を振り返ってみるならば、そこには明らかに写真術の時代が到来していた。産業化と教育の普及とにより、以前よりもずっと幅広い主題にわたる多種多様のピクトリアルな素材に対し要求が増大してきた一そして、こうした要求に応えることができたのはカメラの画像だけであったのだ。この章で言及した人物たちの他にも、ほとんど忘れられてしまった研究家たちがいて、光で画像をつくり出すことを試みていた。やがてロンドンとパリでの成功の知らせが伝わってくると、すぐにヨーロッパやアメリカ中の人々がこの新しい技術を受容しはじめ、その可能性を拡張し、この技法により自らの富を築き、殖やすことを求めていくようになった。ニエプスが最初の画像をつくることに成功してから25年のあいだで、おもな技術上の困難はほぼ解消され、ダゲレオタイプと他の写真術とが商業的に利用可能なことが確かめられた。二つの領域肖像ならびに景観画像の出版一を中心に、そうした中から、独特の組織形態をもち、出版業務もともなうかたちでの写真業という職業がつくり出されてくる。アマチュアたちは、この表現媒体を記録と個人的な表現のために活用したし、他方でグラフィック・アーティストたちは、事物の外観を記録し、あるいはさらに現実を眺めるやり方をさまざまに示唆してくれる不可欠の道具として、写真術に信頼を置いていくようになる。次章以降でもっと明らかになるが、アマチュアとプロフェッショナル、芸術と商売、ドキュメントと個人的表現といった伝統的区分は、写真術の草創時代から暖昧なものだった。カメラの映像がその威信を確立し、表現の範囲を拡大していくに従い、既存の境界線はどんなものもさらに確定しづらくなっていくのである。