「今、糸井さんに聞いておきたいこと」⑥

教養総合講座B「デザインを話そう。」 第2部
登壇者:糸井重里 / 上田壮一 / 宮崎光弘(担当:木下京子教授)


❻【登場 糸井重里】

いきなりですが、第1部を聞かれて糸井さんが思われたことは?

宮崎:では、早速後半を始めていきたいと思います。よろしくお願いします。後半は、この3人なんですけども、どちらかというと糸井さんにお話を聞くという感じで僕らは出ています。率直に、まずいきなりですけど。第1部を聞かれて糸井さんが思われたことお聞きしてもよろしいでしょうか。

糸井:僕が思っていることの色々が、デザインっていう言葉を核に同じことを思っていて、実がついてると感じました。例えば最後の方に永井さんが3つおっしゃったこと。デザインの話として考えなくても、あの3つは成り立つんじゃないかな。それから最後に宮崎さんの「デザインを守ってください」。あれずっと文章読んでいくと、デザインはライフですって書いてある。それはイコールなんだとしたら「ライフを守ってください」。それから、上田さんがおっしゃってた「控えめな」っていう言い方。控えめっていうのは「激しい」に対しては「控えめ」って言葉で表現されざるを得ないんだけど、「控えめ」っていう状態が、本当は普通の脈打つ心臓みたいに当たり前のものだったような気がするんですよ。激しい鼓動みたいなものでやることっていうのが、ずっと長いこと価値を生み出してきたっていうこと。例えば、さっきのオリベッティの「バレンタイン」っていうデザインを作ったソットサスさんは、ご自分の中での「当たり」を取りに行ったというか、きっと「やった!」と思ったと思うんですけど、それは心臓の鼓動を高めて作ったもので、それはそれでありだと思うんです。その時に作ったものとドキドキのリズムとは別に、ごく平常で作ったデザインっていうのも当然あるわけです。デザインだけじゃなくて例えば家族の間で「おはよう」って言葉を交わすなんていうのに、感動は特に必要はないので。

宮崎:たしかに。

糸井:「おはよう」がとても良かったっていう風に毎日感じて生きているとしたら、それが「控えめな」っていう言い方で、あえて300km出せる車に対して普通に走りましょうっていうか。走って快適な速度とか、間に合う速度っていうのがそれじゃないのっていう風にも捉えられて。僕自身がずっと考えていることとデザインをテーマにして話してることが、同じだなというか、ほとんど重なってるなっていう印象を受けました。それから、大学でこのことを喋ってるっていうことが、とてもこの場があって良かった。どういう風に利益を上げるかっていう場所でシンポジウムをやると、その「控えめな創造力」はこれからの時代のトレンドになって、「それが今までの激しいデザインに比べて逆に売上を伸ばすっていうことですね」っていう風に思ってしまう。受講料を払ってるような人がいる場所でやっていたら、その話は多分成り立たないんですよね。でも「控えめな創造力」っていうことに頷ける場所があって、お前ら甘いよっていう必要がない場所で、これを語り合えるっていうこと自体が、とても大事な気がするんですよね。ですから、それはもちろん大学を経営するっていうことの上に成り立ってるのは確かなんですけど。それも両方、つまりどこかのところで大学は大学経営がある。それは確かであるけれど、その上でビジネスだとか利益だとかってことと関係ない重要なことを、もっと深めて話し合えるっていうことがここでできているっていうのは、とてもいいことなんじゃないでしょうかね。これがもしSNSで今の話をそのままやってたら、どこかの誰かが「それは何で利益を得るのですか?」って言うでしょうし。僕らも先日、前橋ブックフェスっていうのをやって、全国から集めた本が前橋の商店街に並んでいて。6万冊、どれでも好きなもの持ってっていいよっていう風にした時に、「これは誰が儲かるんですか?」っていう質問した学生がいたんです。誰も儲からないんですよ。「じゃあ何でやってるんですか?」「お金は糸井さんから出てるんですか?」俺そんなにお金持ってないけど。あのイベントもそうですけど、これ自体もたぶん誰かが算盤はじいていたら結構なお金かかってると思うんですよね。この展覧会やったこと自体に。ブックフェスもそうで。本をただで持っていく人がいる。全国からダンボールに自分の本を詰めてその場所に送る人がいる。全部無料で自分のお金を持ち出してやってる。それが馬鹿らしいことかっていう風に言ったら、馬鹿らしくないんですよ。やってる人間は。苦しいとか言いながらも、なんかある種の楽しみがあって。生きることそのものとそれはイコールのような気がするんですよ。

宮崎:ライフです。

糸井:はい。だから今日あなたが生きたことでいくら稼いだんですかって言われたら、それを自慢したい人はいるでしょう。でも、それこそ犬が1日生きたことで、「あの犬はいくら稼だか?」とか、ないですよね。

宮崎:そうですね。

糸井:だからなぜって言われなくてもいいことを僕らはベースに持ってるのに、どうしても何のために?なぜ?でいくら儲かるか?利益あげられるか?で、その利益を何に使うのか?ていうのはいつも問われてる。目的がないと生きていけないっていう風に問われてるのがいろんなものを壊してる理由なんだろうなと思ってる時に、今日のこの話だったんで。言い換えれば、ずっとみんなが同じようなところで考えてる。で、それを言っていい場所っていうのが少なくなってるんですよね。

宮崎:ああ、たしかに。

糸井:特にインターネットが何でも言える場所だと思ってたら、言ったら寒い場所になっちゃったんで。結局のところ、インターネットってすごい荒野だと思ったから僕は始めたんですけど、逆になんかここでは言えないなってことだらけになっちゃって。逆にこういうライブ会場で、これで例えば僕がなんかひどいこと言った時に、みんなが書いちゃったらもう僕はおしまいなわけですよ。ひどいこと言わないですけどね。でも、それを例えばカンニングの竹山君なんかは、放送禁止のことを言うっていうライブをやってるんです。それはお金を取る価値があるって思ってる人が集まってそれを聞いてるわけですね。どこかのところで、先ほどおしゃってた「控えめな創造力」であるとか「控えめだけれども生きている」っていうことだとか、そういうものがあっていいんだって認めようよ、という様なことが大事なんだろうなと思いながら聞いてました。実は昨日、風邪引いて1日寝てたんですけど。

宮崎:あっ、そうなんですか。

糸井:今日休むのかなー?と思ってたんですけど、来てよかったな。

宮崎:ありがとうございます。

糸井:どこかのところでこういう場所っていうのは確保してる人たちがいて、そこで喋ることを考えてる方々がいて、で、それに学生さんたちがついていく。この循環があること自体がとても素晴らしいことだなと思って。来させてもらって良かったと思っております。

宮崎:ありがとうございます。今日はですね、糸井さんに5人の学生が考えた質問に答えていただこうと思ってます。ちょっとその前に、そもそもなんで糸井さんが多摩美まで来たかについてお話しします。今日来ている学生以外の人たちは結構、糸井重里さんがなんで多摩美に来たんだって思ってるかもしれないので。

宮崎:1つは、これかなと思って。犬繋がり。実は糸井さんと僕は同じ犬種を飼っている。でもこれじゃないだろうなと思って色々調べてたら、こういうのが出てきたんですよ。(投影映像:NHK[「デジタル・スタジアム」)今流れてる映像は2001年に「デジタル・スタジアム」っていう番組があって、そこに糸井さんと僕が一緒に出ていました。それ忘れてたんですよ。(AXISギャラリーの画面を見ながら)アクシスです。ここに糸井さんが来てくださって、展覧会「デジスタ展」。当時Eテレの「デジタル・スタジアム 特集―Webの未来を語る」で中谷さんという方に取材をしていただきました。糸井さんがインターネットの世界に入られた頃の番組で、実はこの番組には上田さんも出てたんです。これです、はい。それじゃあ解説を。

上田:これは宮崎さんたちにデザインしていただいたんです。
(映像のナレーション:宇宙から見た地球の雲の様子や昼と夜の境界など情報をリアルタイムに入手します。未だ試作段階ですが将来的には世界各地の気温やオゾンホールの場所も一目で分かるようになります。地球の存在をより身近に感じてほしい。そんな思いで作られました。)

宮崎:こういう解像度だったな。

上田:一番最初はこんな感じだった。

宮崎:これ、上田さん。若いですね。

(番組音声 上田:地球をこうポケットにこう入ってて、ポっと出してみたら、ここで本当に今うごめいてる地球が宇宙空間にポンとこう浮かんでる。そんな感じのものがもしあったらすごくいいな。)

宮崎:インターネットに夢があった時代。

糸井:思えばこれ、うちで「ほぼ日のアースボール」って商品を出してますね。

宮崎:そうですね。まさに「ほぼ日」で今、出している。 で、2001年っていうと、この名著「インターネット的」の本をちょうどその頃に糸井さん書かれていて。

糸井:2001年ですね。

宮崎:そうです。もうその時にインターネットについて「リンク」「シェア」「フラット」っていうキーワードを出されていて。糸井さんは「インターネット」と「インターネット的」の違いを、「車」と「モータリゼーション」の違いみたいな感じとおっしゃっていて。

糸井:そう。

宮崎:俯瞰してインターネットをその時から見られていて。逆に言うと、なんでこの当時に、インターネットの本質が分かっちゃったんですか?って思うんですけど。

糸井:僕は大体の新しいものは訝しむんですよ。「良い、良い」って言ってる人が静かに言ってないんで。騒いでるものって大体怪しいんですよね。強く言わないと認めてもらえないっていうことなんで。激しく「I love you, I love you」っていう人と一緒になることって、まずないですよね。やっぱり先行有利な仕事をしようとしてる人たちがやっているっていうのは、そうですから、その時代にわざわざその横に並ぶ必要はないと思っているんですけど、でも実際に「あのこと」「このこと」がインターネットで、「こういう風に展開した」とか、「こう解決した」みたいなことをチラチラと見るようになって。だとしたらインターネットの奴隷に人間がなる必要はなくて、こんなに進化しているから早く追いつけっていうよりも、人間がもっと「インターネットがこうならなきゃだめだ」て言えるような。つまりロボットに対する人間の立場と同じなんで、道具としてのインターネットっていうのをどういう風に展開できていくんだろうって。使って便利なことだったら自分も使うし、という立場で触り始めて。で、すぐに思ったのは、やっぱり主役を人間にするかどうか。さっきのデザインが結局「LIFE」のところに繋がるのと同じように、たとえば人間が幸せになることにインターネットを使うと考えるとしたら、インターネットが人間にとって何をくれただろう。何かを調べようとしたらそこにその人の知識がまた自分のとこに繋がる「リンク」だったり、あるいは「シェア」っていうのは「いいよ、タダで持ってって」っていう態度ですよね。それから「フラット」っていうのは、社長であろうが今日入ったバイトであろうが、同じことする時には同じだよっていうことですし。そういう考え方みたいなものが、この中に埋め込まれているなと思ったんです。作った人はそれを目的としたんじゃないと思うんですよね。だけどやっていってユーザーが増えていったら、そういうことができてきて、それが素晴らしいなと思った。僕はこの考え方でいろんなものを見ていこうと思って、だから宮崎さんもうちの会社のこと知ってますけど、うちには肩書きがないんです。

宮崎:そうですね。名刺に肩書きがないんですよね。

糸井:はい。

宮崎:すごいです。

宮崎:誰かがいいアイデア出したって言ったら、それは「くそー負けるものか」って対抗するんじゃなくて。「それ、いいね!」っていうところで、どういう風にもっと良くできるかとか、いいところ褒めあったり、本人が気づいてないところを見つけたり、これはシェアであるし。で、そこにさっき入ったばっかりの人が、「それはこういう風にダメなんじゃないの」ってことは言えるとか。それは全部インターネット的っていうのを組織に応用した形ですね。

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