「これから何をデザインすべきなのか?」②

教養総合講座B「デザインを話そう。」 第1部
登壇者:永井一史 / 上田壮一 / 宮崎光弘 (担当:木下京子教授)


❷【自己紹介 上田壮一】

「ヒトづくり」を中心に「コトづくり」、「モノづくり」の活動を23年

上田:じゃあ僕も短く自己紹介。今回、宮崎さんと僕の退職記念展ということですが、元々宮崎さんに多摩美に誘っていただきました。おふたりとも第一線で活躍されているデザイナーなんですけど、僕はデザイナーではないんですね。大学も理科系の工学部をでていて。ただ研究のテーマはユーザーインターフェイスだとか当時の人工知能とかだったので、情報デザインとは親和性が高いことを学んでいました。その後、広告会社に入って5年経った1995年に、宮崎さんと初めてした仕事が「インターネットワールドエクスポ’96」っていう1996年に行われた世界規模のインターネット博覧会があったんですね。その日本のテーマ館「センソリウム(sensorium)」というプロジェクトがあってプロデューサーは竹村真一さんがされていました。

上田:今お見せしているのは東泉一郎さんがデザインした会期後半のトップページですけど、最初は宮崎さんの「何が生えてくるかわからない球根」をずっと撮影し続けて更新するっていう表紙だったんです。インターネットなんですけどアナログな、生きている植物を日々撮影して更新するという表現。僕はその時にすごく面白いことを考える方だなと思って。でもそれ以降こんなに長いお付き合いになると当時は思っていませんでした。これが最初の仕事でした。

上田:その後、世紀が変わる直前、実は今もまだこのウェブサイトあるのですが、2000年から続いているんですけど。オルカライブという野生生物のライブ中継プロジェクトです。カナダのバンクーバー島の北の辺り、毎年夏になるとオルカ(シャチ)の家族の群れがたくさんやってくる場所があるんですね。そこにひとりの研究者がいるんです。ポール・スポング博士という研究者なんですけども、普通の研究者だったら水族館に勤めてシャチを間近で観察して研究すると思うんですけども、スポング博士はそれだと本物のシャチを見ていることにならないと考えて、むしろ人間がシャチのいるところに近づいて、そこにカメラとかマイクとかを置いてリモートセンシングでシャチの社会を研究するという方法がとられているんです。スポング博士が「ネイチャーネットワーク」という構想を提唱しておられて、その構想を実現しようということで作られたプロジェクトです。これも宮崎さんと一緒にやらせていただいた非常に思い出深い仕事ですし、今もまだ続いているプロジェクトです。

上田:宮崎さんのデザインはアナログなものが結構出てきて面白い。2001年にアメリカ同時多発テロがあって先行きが見通せなくなった時に、我々が尊敬する方たちに、ちょっと先の未来を感じながら今の自分の意見を書いていただく「先見日記」というウェブでの連載企画をやりました。まだブログだとか、今で言うとnoteだとか、個人が日記のような情報発信をする前のことでした。トップページには別撮りしたエンツォ・マーリがデザインしたカレンダーが置かれていて、その日の日付が表示されています。こんなサイトを小崎哲哉さんという編集者の方と一緒に作りました。この2つの仕事は展覧会では紹介されていないので、ここで紹介させていただきました。

上田:その後Think the Earthというプロジェクトを始めることになります。スタートしたのが2001年なんですけど、以来いろんなプロジェクトをやってきていて、展覧会場には年表が載っているリーフレットが置いてあるので、もしよろしかったら皆さん手に取っていただけたらと思います。もう23年続けていることになります。まだ多分これから先も続くと思うのですが、始めた時は僕もこんな長くやると思っていませんでした。いつのまにかライフワークみたいな仕事になっていて。2011年に一般社団法人にしたんですけど、その時から宮崎さんと永井さんにも理事として合流していただき、強力なサポーターとして盛り上げてくださっています。

上田:最初は宇宙から見た地球の姿が自分の腕にあって、みんなが宇宙飛行士の視点を持つようになったら、世界が変わるんじゃないかという、妄想なんですけれど、そんなことができたらいいなと思って1番左のワーキングモデルを97年に作りました。そこから紆余曲折あって、プロダクトになったり、携帯のコンテンツになったりっていうのがありました。Think the Earthの名前の由来はこのプロジェクトに起因しています。宇宙から地球の姿を見る視点を、我々の世代が人類史上初めて獲得したことで大きな社会変容が起きました。それを未来に繋いでいきたいという思いで始めました。

上田:2番目のプロジェクトが『百年の愚行』という写真集です。20世紀、人類が環境や自分たちの文明に対して行ってきた(当時はそう思ってなかったかもしれないけれど)、今振り返ってみると愚かな行いと言えることを報道写真から探しました。10万点くらいの写真をフォトストックから検索して探し、そのなかから100点を選びました。その100点の写真が展覧会場でも展示されています。編集者の小崎哲哉さんと、今日もいらしてるかもしれませんけれどアートディレクターの佐藤直樹さんが温めていた企画を、僕が出版プロデュースをするという形で生み出したものです。

上田:これが初めて作った本ですけど、気がついたら随分たくさんの本をその後に手掛けることになって。主に学校の先生に届ける本を作るようになってですね、『1秒の世界』や『世界を変えるお金の使い方』はテレビ番組にもなったりしました。また『いきものがたり』『みずものがたり』を原作にしたプラネタリウムの映像を作っていて、今も上映が続いています。

上田:この「GREEN POWER」の仕事は永井さんと一緒させていただいた仕事です。2011年の東日本大震災で原子力発電所が大変なことになりました。その後、「再生可能エネルギーを増やす気運を日本の中でもちゃんと広げていこうよ」という経産省の政策が生まれたのですが、大きなプロジェクトデザインを永井さんがされていて、僕らは学校教育への普及を担当しました。全国各地の再エネのプロジェクトを取材して1冊の本にまとめ、希望する先生たちに40冊ずつ届けました。さらに出張授業にも呼ばれるようになって、この辺りから教育というテーマに自分たちのプロジェクトのフォーカスが当たるようになってきました。2015年にSDGsが採択され、2017年に公示された日本の学習指導要領で持続可能な社会の担い手を学校教育の中で育んでいくという大きな方針が出ました。ポジティブでクリエイティブなサステナビリティ教育をされている教育者たち、あるいは生徒たちの活動を応援しようじゃないかとSDGs for School というプロジェクトを立ち上げ、子どもたちを学校の外のリアルな社会と結びたいと思っている先生と、企業や地域と繋げる役をしながら今もいろんな活動をしています。

上田:先生たちが集まるティーチャーズ・ギャザリングというイベントだったり、海外へスタディーツアーに行ったり、それから「超文化祭」。このロゴも永井さんのデザインですけども。学校を超えて、セクターを超えて、いろんな人たちが集まって持続可能な社会という文化を作っていくような、そういう情報発信をしていこうじゃないかということで、毎回20以上の学生グループが活動発表し、交流する場になっています。そんな活動ももう5回ぐらいやっています。

上田:これはThink the Earthのメンバーで新渡戸文化中学・高等学校の副校長の山藤先生という方が立ち上げた「旅する学校」というプロジェクトで、我々も応援しています。コロナ禍では大勢で修学旅行に行くのがナンセンスになってしまった。そこで発想を変えて3人とか5人とか少ない人数で、同じ場所に何度も行くとか、あるいは全然違うたくさんの場所に行くとか。生徒と地域とがつながる新しい修学旅行のあり方をデザインされました。そのプロジェクトが、つい先日グッドデザイン賞の金賞を取りました。教育もデザインとして評価される時代になったんだなと思って驚きましたし、非常に嬉しく思っています。

上田:これが最新の、海をテーマにしたプロジェクトです。日本は海に囲まれているんですけど、日本財団の調査だとこの1年間で海に行った人は半分もいないらしいです。海に親しみを感じている人も30%ぐらいということになっていて。一方で海は環境問題という意味ではプラスチックごみの汚染や、海水温の上昇による生態系の変化、気象災害など厳しい課題があります。同時に海は二酸化炭素の重要な吸収源、ブルーカーボンとして大きなポテンシャルももっています。ユネスコが提案した「海洋リテラシー」という言葉があり、世界的にも海洋環境教育の重要性が認識されつつあります。こうしたテーマで取材に行き、本を作りました。

上田:これは対馬の海ですね。この風景は実は縄文時代から変わってないそうです。この頃から皆さん丸木舟でこの辺りを行き来していたそうです。ところが今はもう本当にびっくりするぐらい、たくさんの海洋ごみが漂着している風景になってしまっています。海に潜ると磯焼けが深刻です。海の砂漠化とも言われますが、ほとんどの海藻類が根絶やしになって生態系が維持できなくなっている、そういう状況が日本や世界の海の現実です。

上田:けれども同時に、こういう状況を変えようと頑張ってらっしゃる方がいるんですね。左側は漁師の女将さんで、「海藻を食べちゃう魚を人間が食べちゃおう」という考えで磯焼け問題に取り組み、すごく苦労されながら独自の加工方法を編み出し、美味しいメンチカツなどをつくって提供されています。右側は森と海をつなぐ活動されている方で、シカとかイノシシとかが森を荒らした結果、雨が降ると土砂が海に流れ出してしまうといった獣害の問題を扱っていらっしゃる。このおふたり、「海の人」と「山の人」が仲良く協力し合って対馬の未来を考えている。問題だけを伝えるのではなくて、そこで頑張って解決に向けて奮闘している人たちを、学校の先生や生徒たちに知って欲しいなと思って先ほどの本を作りました。

こんな感じで「ヒトづくり」を中心に「コトづくり」と「モノづくり」をする活動を20年以上、続けてきています。

永井:じゃあまた質問してもいいですか。さっき上田さんが説明の中で小耳に挟んだことなんですけど。時計だとか1秒だとか100年だとか、時間にまつわる切り方をしているというところに特徴を感じるんですけど、そこら辺はどういう意図なんですか。

上田:最初は確かに時計のプロジェクトでしたね。学生時代に、今日の学生さんとそんなに年齢が変わらないと思うんですけど、アフリカを旅したんですよ。アフリカに行くと現地の方って時計を持ってないんですよね。じゃあ、どうやって時間見てるのかなと思ったら、1秒とか1分とか1時間とか、そういう人間が作った単位ではなくて、太陽の傾きだとか。アフリカの大草原にいると、地平線の彼方に雨が降ってるのが見えるんですね、それがだんだん近づいてくるんですよ。そろそろ雨になるぞっていうのは、見て分かる。今だと天気予報を見たりアプリで情報を得たりしないと我々は天気がいつどうなるか分からないですけど、アフリカにいると、「あっ来てるね」っていうのが分かるんですね。そういう原始的な人間の時間感覚にすごくその時に触れて。日本に帰ってきたら、いきなり時刻表通りに動いている電車があることに、ものすごく違和感を持ったんです。その頃から時間というテーマには関心を持つようなりました。

永井:Think the Earthに我々も関わらせていただいてますが、今でこそソーシャルの領域でデザインやクリエイティブをやられている色々な団体がたくさんありますが、当時はほとんどなかったんじゃないかなと思います。その状況の中で上田さんが、そもそもなんでそういうところを目指したいと思ったのかということと、苦労みたいなものがあったら聞かせてもらいますか。

上田:先ほどもお話したんですけど、宮崎さんと会ったのが95年で、僕はその翌年に広告会社を辞めてるんです。辞めた理由の1つが95年の阪神淡路大震災。僕の故郷が兵庫県の西宮市だったので、自分の故郷の街がめちゃめちゃになってしまう体験があって。最後の方の話にも繋がるんですけど、当時まだバブルからちょっと経ったぐらいの頃で、広告会社でやってるような仕事がクリエイティブな仕事だと思っていたんです。けれど、実はそうではなくて。震災でめちゃめちゃになってしまって自分たちの生活が壊されて、そこから立ち上がろうとしていく人たちの中に湧き上がってくるクリエイティビティみたいなものにバリバリバリバリと触れちゃったんですよ。それにものすごく感動してしまって。自分がやってることはクリエイティビティのほんのわずかな一部のことであって、人間が持っている本来の創造性は、もっともっといろんなところに発揮されてもいいんじゃないかって思ったんですね。それと故郷が被災したことや、環境問題に昔から関心があったこともあるのですが、当時こうした問題を扱ってるNPOの人たちの情報発信の仕方を見て、伝わるものになっていないなぁと感じたんです。そういうところに自分が役に立てる場所があるんじゃないかなあと、それを生業にして生きていくことができたら素敵だなと思ったので。チャレンジングだったし、いろいろ苦労はあったんですけど、ワクワクしながら当時はやっていました。夢中だったので、あんまり苦労とは思ってなかったですね。

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