「今、糸井さんに聞いておきたいこと」⑪
教養総合講座B「デザインを話そう。」 第2部
登壇者:糸井重里 / 上田壮一 / 宮崎光弘(担当:木下京子教授)

⓫【ユン・ダヨンさんー情報デザイン学科 情報デザインコース1年】
宮崎:3人目いきます。ユン・ダヨンさんです。「糸井さんにとって『やさしく、おもしろいデザイン』とはどのようなものですか」これはもう知ってる人は知ってると思うんですけれども、ここから来ています。

宮崎:この行動指針見て彼女はなぜ「つよく」を入れなかったのかは、僕も興味があるんですけれども。

糸井:そうですよね。まず両方いっぺんに思うことはないんじゃないでしょうか。あとやさしいデザインだって思うこともないと思います。おもしろいはあると思います。で、後でこれ作った人いい人だろうなって思う時とかあったりするんですよね。だから、まず僕らはデザインっていうものを見る側で、その「わっ!」って掴まれた時には、面白いって思うんじゃないでしょうかね。で、面白くないけどやさしいデザインっていうのは、逆に言うと「自然」なんじゃないでしょうか。さっきそこの広場から向こうの景色を見たらとてもいいんですよね。もしかしたら建物があるおかげでいいのかもしれないけど、いいなって思った時は、それはデザインっていう風に表現されたものじゃないけれど、僕らの心の中にその建物の両サイドを額縁のようにしてみた景色があって。で、それはいいなと思ったんですけど。僕の中に「やさしい」があったんだと思うんですよね。で、やさしくおもしろいっていう風に両方いっぺんに感じることは多分なくて。ずっと付き合ってるうちに、「これで良かったなー」みたいな。皆さんの領分で言うと、明朝体で書かれたものっていうのがもう飽きたよって思うことって学生の時には必ずあるんですよね。
宮崎:うん、ありますね。
糸井:ありますよね。でも、明朝体で書かれているのが全部違っていたら今ぞっとするなって思うような、それはあの文字が何かその読む人に対して思いやりがあるんでしょうね。
宮崎:たしかに。

糸井:そういう書体を僕らはつまんないって思うかもしれないけど、後であってよかったなって思うみたいな。そういうことなんだと思います。
「やさしい」については最近また違う文章を書いたんですけど、実はホモ・サピエンスはネアンデルタール人よりも体が小さくて弱かったそうです。実際にはネアンデルタール人とホモサピエンスの婚姻関係とかもあるんですよね。だから人類の中にネアンデルタール人の血は入っているんですよ。どっちが優秀だった、有能だったみたいなことっていうのは一概には言えないんですけど。強さって考えると、ライオンは強いって言うのと同じように、ネアンデルタール人は強かったわけですね。ですからホモ・サピエンスみたいな弱っちいやつらが滅ぼされてネアンデルタール人が残ってもおかしくなかったんです。でも、ホモ・サピエンスの中には唯一「助け合う」っていう武器があったっていう説を唱えている方がいらっしゃって。「お前は向こう見まわってろ」みたいなこととか、「明日はこれを一緒にやる」とか。そうやって助け合うおかげで生き延びた。後にあの愚行をやったりもするんですけれど。ホモ・サピエンスが助け合うってことのその命に関わるような大事さっていうのを、本能としてインプットしたんだと思うんですよね。で、それが「愛」だとか「やさしさ」だとかっていう、そういう言葉に、別の表現になって今も生き延びてるんじゃないかなっていう風に僕は思うようになったんです。「やさしく、つよく、おもしろく。」っていう言葉についての「やさしく」っていうのが、前提のとこに置かれてるっていうことですね。
宮崎:順番もすごい大事なんですよね。
糸井:そうなんです。この順番をよく自分で先に作ったなっていうのを改めて思うようになりました。て言うおまけの話をしました。みんな学生さん顔が硬いんで。大丈夫だよ。怖くないからね。みんなこう真剣なんで。
宮崎:みんな正座して聞いてるみたいです。
糸井:ヘラヘラしてください。そのほうがこっちは楽ですから。
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