「今、糸井さんに聞いておきたいこと」⑩

教養総合講座B「デザインを話そう。」 第2部
登壇者:糸井重里 / 上田壮一 / 宮崎光弘(担当:木下京子教授)


❿【宮澤春登さんー情報デザイン学科 情報デザインコース1年】

宮崎:じゃあ2人目のねえ宮澤春登さんね。「言葉と言葉が表現するものとの関係について、どうとらえてらっしゃるかお伺いしたいです。」これはね、すごい深いですね。

糸井:「言葉にならない」って、わかるわかる。「言葉にならない」が基本です。全部言葉にならないんです。言葉はどこまでいっても、その事実とか真実とかリアルには追いつかないんです。でも、追いつかないんだけれども、人の目にそうでなく見える時がある。追いついた以上に見える時がある。例えば、今あなたがどういう歌を聞いたりしてるか分からないですけど、いろんな好きな歌とかあるじゃないですか。その歌で心にジーンと来るものがあったり、「わーっ」て思うものっていうのは、それは事実に追いついたから「わーっ」とくるのでも、表現ができたからでもなくて、表現っていうものが違う絵を見せてくれたから。で、そこに事実が作られちゃったんだよね、表現の中に。だから、言葉にならないです。まずは言葉にならないです。でも、言葉にならないで諦めちゃだめっていう。

宮崎:ああ、なるほど。

糸井:答えはそれかな。言葉にならないことをよく言葉にしてくれたっていう人が、かつていっぱいいたわけです。それを「その人ができたんだったら私もできないかな」って思うのが 、多分表現なんじゃないでしょうかね。だって静けさをさ、誰もいないところで「古池や 蛙飛び込む 水の音」って。その場所にいたかどうか知りませんけど。古池っていうものが、古池って作った池というよりは、残った池ですよね。そこにポチャって音がしたっていうのは、ポチャンの前の状態にそれを詠んだ人がいたわけですよね。で、静かだなとさえ思ってなかったんですよ。ここがかっこいい。静かだなって思っていれば、「蛙飛び込む水の音」ってわざわざ言う必要ない。でもカエルが飛び込んで、ポチャンって言ったおかげで、あっ、あのポチャンが聞こえたぐらい前は静かだったんだなーって思ったっていうことは、元々の静けさを、正確にとか真実として言葉にできたわけじゃなくて、カエルがしてくれたんだなっていうことを詠ってるわけで。めちゃくちゃかっこいいじゃないですか。マスクしてるからね頷いてるかどうかわかんないな。

宮崎:頷いてる。

宮澤:最初の話がすごく腑に落ちました。

糸井:諦めるなって話ね。

宮崎:はい。

糸井:諦めるな!(叫ぶ)

宮崎:ありがとうございます。

宮崎:彼の背景に書いてあること面白いんですよ。大人が読んだら怒りそうなね。「中学生の頃、図書館でたまたま広告の本を手にした時、糸井さんと出会いました。『おいしい生活』とかとてもいいコピーを書く人だなと思いました」っていう。

糸井:そうなんです。あの『ミッケ!』っていう本が、さっきあの国内で累計1000万部って言いましたけど、なんで頼まれたのかもよく覚えてないんですけど。「こういう本が出てアメリカで結構評判いいんですけど、糸井さんこれ訳してもらえませんか」と。で、もし訳すのがめんどくさかったら、タイトルだけでも訳せませんかねって言われたんですよ。『ミッケ!』の原題は『アイ スパイ(I SPY)』て言うんですよ。ですから日本に「アイ スパイ」て遊びはないんですけど、アメリカでは普通にあるんですよ。それを『ミッケ!』と訳したところが僕の天才なところなんですよ(笑)。だからもう『ミッケ!』って、この「3文字 プラス エクスクラメーションマーク」で僕は、稼ぎ終わってるんです。その後は、僕がやったからまた訳をお願いしますって言ってきてるだけなんで。

宮崎:でも中も全部訳されてますよね。

糸井:そうですね。大したことはないんです、中は。

宮崎:いやそんなことは。

糸井:だからその「できたよ!」っていうのは、できるから。やっと笑ってくれました。よかったです。

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