文様シネマ

アジア装飾文様アーカイブ映画シリーズ

TAMA MON 22―多摩美術大学文様研究プロジェクトは、新たな文様研究の一環として文様映画の制作に取り組んでいます。
 人類誕生と共に現れる最も始原的なイメージである文様は、神話・伝承・民話・宗教・民族・文化の記憶を吸収して、人々の日常の生活の中で受け継がれ再生を繰り返します。文様は時代や文化を超えて流動的に変容します。文様は素材の表面を装飾するだけでなく、文化の固有性を表象するものとして機能します。
人々の生活や文化をイメージとして記憶する文様、捉えどころがなく時に流動的な文様、その多様性を読み解いていく過程で、私たちはテキストや写真だけでは不充分であることに気づきました。体験的な理解を促してくれる映像メディアは、文様の特性を表現す有効な提示方法です。

 

第Ⅰ期
インドネシア・バリ島編

2017年から2019年までの3年間で、インドネシア・バリ島を地域的中心に10本の文様映画を制作しました。
 インドネシアの多くの地域でイスラム教が信仰される中、バリ島では、バリ・ヒンドゥと呼ばれる独特の信仰と文化が根強く色あせることなく受け継がれてでいます。私たちは1980年代よりバリ島の宗教・芸能・舞踊・美術工芸に関する研究活動を続ける中で、様々な文様を収集してきました。それらの文様には土着的なものからヒンドゥ教や仏教、インドや中国の影響も見られるものが含まれます。そのためアジアの文様の諸相を究明しようとする我々にとって、アジアの群島の中でもバリ島を最初の対象としたのです。
 多摩美術大学文様研究所もインドネシアとバリを重要な拠点として捉えていて、数々の記録を残しています。

アジア装飾文様アーカイブ映画シリーズ|バリ島編全10作品| 4K(3840×2160ピクセル)|アスペクト比16:9|ステレオ

1-01
インドネシア・バリ島編

チリとラマ —— バリ島の想像力を揺れ騒がす不思議な文様

「チリ」は古くから伝わる土着的バリ様式の文様のひとつです。チリ文様は生活の隅々に溶け込んでいて、人々の心を和やかにしています。「チリ」は美しい少女の姿を象った砂時計のような形の文様で、胴体と細い腕、大きな耳飾り、花の髪飾りという組み合わせでできていて、寺院の飾り付けや、家々の門装飾に使われています。これは古くから伝わる土着的バリ様式の文様の一つで、生活の隅々に溶け込み人々の心を和やかにしてくれる文様です。バリ島ウク暦の大祭であるガルンガン・クニンガンの期間にかけて、寺院多家々の門前に掲げられるペンジョールという竹飾りや、「ラマ」と名付けられた椰子飾りが飾られ、ています。それらはチリ文様が美しく散りばめられています。
チリは「可愛い」という意味をもつ、世界で最も美しい女性の抽象文様と言えるでしょう。

1-02
インドネシア・バリ島編

チュプック —— イカット文様に宿る魔除けの力

「チュプック」は、マレー語で「イカット」と呼ばれる絣技法で文様をあらわした織物です。赤紫色を基調に、ハート文様や、花文様、ギギバロンと呼ばれるノコギリの刃のようなシンボリックな文様が表されます。バリ島ではチュプックは昔から禍や悪霊から人々を守ると信じられてきました。屋敷を守護する布、そしてバロンダンスで魔女ランダを演じる者を守護する布として用いられてきました。チュプックは、ヒンドウ教発祥の地であるインドから伝わった経緯「パトラ」に由来するとされ、文様やデザイに類似性がある。バリの人々は、インドからもたらされた貴重な布に、神が宿るとさえ信じて、その独特の文様や技法を模倣したのかもしれません。

1-03
インドネシア・バリ島編

ポレン —— バリ島の世界観を表す守りの文様

バリ島では、「ポレン」という白と黒の格子模様の布が神像や祭壇、神木に巻かれています。ポレンの白と黒はバリの世界観を反映しています。善と悪、昼と夜、生と死、太陽と月、光と闇?影陰のように、すべての相対するものがバランスを取り合いながら共存しなければ、世界は成り立たないという、こうしたバリの世界観をポレンは象徴しているのです。互いが存在することで、宇宙の万物が成り立つという考え方は、バリ・ヒンドゥだけでなく陰陽の思想としてアジア全体で信じられています。ポレンと同じく黒と白が絡み合って円をなす太極図がこれを象徴します。バリ島が永遠に続いていくための必要な文様として、ポレンはバリの人々の生活に深く溶け込んでいます。

1-04
インドネシア・バリ島編

グリンシン —— 聖なる文様

バリ島の東部にバリ・アガの人々が住むトウガナン・プグリンシンガン村があります。「グリンシン」はこの村だけで作られ村人だけが着用できる神聖な織物として知られます。細かい幾何学文様やパトラに由来する花文様、建造物文様、人物文様などが経緯絣(ダブルイカット)でが緻密に織りこまれています。グリンシンはバリ・ヒンドゥの人々にとっても神聖でミステリアスな布として知られています。その深い赤色は「血染め」とさえ信じられたと言います。近隣の村で神輿を守護する布に使われるほか、グリンシン・ワヤンは、危機に直面した人を守護すると信じられ、歯削りの儀式などで使われます。神聖な文様と、それを織り出す宗教儀礼にも似た手間暇かかる手仕事、作り手の想いがグリンシンには込められているのです。

1-05
インドネシア・バリ島編

オムとオンカラ —— 聖水と身振り

バリでは、今だに古代インドのサンスクリット語が大切な言語として人々の生活に浸透しています。サンスクリット語には特別な呪力を持つ様々な音韻があり、それぞれの音が神々、色、方位と、対応しています。至高の言葉「オウム」はこのような要素を統合したもので、バリでは「オム」と発音されます。「オンカラ」はこの3つの音を形にした不思議な文様です。男性器を示す縦棒、女性器を象徴する三日月、両性具有のシンボルの円で構成され、魔除けや呪術に使われ、呪具や儀礼の品々にあしらわれています。水の流れのようにも見えるオンカラは、聖なる水をつくる時にも欠かせません。聖水をつくる儀礼では、呪文と共に言葉を強調する手と指の動作を伴います。僧侶の手や体の動きがオンカラをなぞり、その身振りが文様となるのです。

1-06
インドネシア・バリ島編06

ワヤンクリッとカヨン —— 影と闇の文様

ヒンドゥーの大叙事詩「ラーマーヤナ」と「マハーバラタ」の様々なエピソードは、バリのダンスやドラマに大きな影響を与えてゆきました。最も有名なものは影絵「ワヤンクリッ」でしょう。ワヤンクリッはダランと呼ばれる影絵師の操る人形により演じられ、スクリーンに神秘の影を投げかけます。ダランは槌(つち)で、人形の箱を叩いて、リズムを打ち出すと演奏が始まります。やがて、「カヨン」と呼ばれる生命樹の影が、スクリーンに現れてきます。その奇妙な文様の輪郭は、大きな樹のようで、幹、枝、葉も識別できます。カヨンの神秘的な影は円を描くように揺れ動き、音楽の高低に合わせて波打ち獣のようにブルブル震えたり、炎の揺らめきに形を歪ませ、ぼやけたりします。まさに変幻自在の生きた文様なのです。影の文様であるワヤンクリッは、バリの人々の精神世界の豊かさを詩的で繊細な動きと共に体感させます。ワヤンクリッの最後には再びカヨンが現れて物語の終わりを告げます。影の文様の消滅と共に、ワヤンクリッは再び深い闇に消えていきます。

1-07
インドネシア・バリ島編

ナーガ —— 再生と生命力のシンボル

モンスーン・アジアの風土と自然環境から独特の蛇信仰が成立しました。蛇は風水思想における大地を司る龍にも繋がります。山波や、蛇行する川は龍に喩えられました。蛇は水のイメージにも深く結びついています。ヒンドゥ語で蛇を意味する「ナーガ」は、インド・ヒンドゥー教で、破壊と創造の神ヴィシヌスと深く結びつき、インド最古の聖典『リグ・ヴェータ』にも頻繁に登場します。バリ島の寺院では、頻繁に蛇の文様を見かけます。ガムランの楽器にもナーガがあしらわれています。ナーガは、忌み嫌われる悪しき存在ではなく、畏敬の対象としてバリ島だけでなくアジア全域で崇拝されています。脱皮と再生を繰り返す蛇の生命力は、世界を生み出す無限のエネルギーや、大地と結びつき、あらゆる生命の根源として、信仰の対象とされ、文様となったのです。

1-08
インドネシア・バリ島編

カーラと唐草 —— バリの石彫装飾

バリ島では神々や守護神をあしらった石のレリーフを至る所で見かけるます。石彫、木彫、あるいは銅像には、流動的でいくつもの動物や植物が絡み合い萌えあがるような、とめどないイメージが施されています。石彫に繰り返し表される鬼面「カーラ」は、広くアジア全体に流布している聖獣「キルムーティカ」の文様と深く繋がりをもっています。キルムーティカは、その威厳や栄誉を表す役割を持つと共に、魔除けの力をもつとされています。カーラの顔は、目が大きく、団子のように鼻が丸く、裂けそうな口からは歯や牙がむき出しで、下あごが表現されません。
カーラの周りは唐草や花の文様で埋め尽くされています。唐草は、豊穣さや生命力の象徴する吉祥の文様として世界中で知られている文様です。バリ島の石に刻まれた唐草は、迷路のように入り組みながら、炎のように建物を包み込んでしまいそうな勢いがあります。カーラと唐草の文様は、バリ島の豊かな自然とそれを与えてくれる大いなる力を象徴し、寺院の建物を聖なる場所とする働きを担います。

1-09
インドネシア・バリ島編

バティック —— 植物の文様

熱帯の自然が織りなす花や草木がもつ有機的なかたちは、バリの人々の創造の源泉であり、生活のすべてを彩ります。植物は様々な文化圏で古くから信仰の拠り所となり、生命樹はシンボリックな装飾文様となりました。植物文様は美しい曲線を描き、勢いよく増殖しその生命力の強さと洗練された美を様々な文化で表象します。インドネシアの「バティック」は生命の豊かさや神秘性、人々が自然と共生する様を一枚の布に表しています。バリの人々は植物の文様で身体を美しく装飾します。寺院に参詣する時、正装する時、生花を髪に飾り植物文様を施したバティックやクバヤを身に纏います。植物文様が身体と一体化すると、布に描き出された有機的な植物の文様が身体にまとわりついて第二の皮膚になるのです。身体の動きに合わせて植物文様の流れやリズムが奏でられ、新たな文様が創出されるのです。

1-10
インドネシア・バリ島編10

バロン —— 森の聖獣文様

インドネシア、バリ島の森の聖獣バロンは、バリの人々から最も敬われている空想の動物です。森を支配する動物の王であるバロンには、災いや病いを祓う大いなる力があるとされます。凶事が重なると、森から抜け出て、村の外れや通り、家々の門前を練り歩き、魔を祓うのです。
聖獣バロンと魔女ランダの戦いを中心に演じられるのが、チャロナラン劇です。戦いは延々と続き、決着のつかないまま、両者は寺院の闇の奥へ消えていきます。
バリのアニミズムに根を持つバロンは、バリの村々を古くから守ってきた、神秘の力を宿す偉大な聖獣です。その力の流れがバロン文様の隅々に注ぎ込まれています。

第Ⅱ期
日本、台湾、中国、モンゴル、中東編

2017年から2019年までの3年間で、インドネシア・バリ島を地域的中心に10本の文様映画を制作しました。
 インドネシアの多くの地域でイスラム教が信仰される中、バリ島では、バリ・ヒンドゥと呼ばれる独特の信仰と文化が根強く色あせることなく受け継がれてでいます。私たちは1980年代よりバリ島の宗教・芸能・舞踊・美術工芸に関する研究活動を続ける中で、様々な文様を収集してきました。それらの文様には土着的なものからヒンドゥ教や仏教、インドや中国の影響も見られるものが含まれます。そのためアジアの文様の諸相を究明しようとする我々にとって、アジアの群島の中でもバリ島を最初の対象としたのです。
 多摩美術大学文様研究所もインドネシアとバリを重要な拠点として捉えていて、数々の記録を残しています。

アジア装飾文様アーカイブ映画シリーズ|バリ島編全10作品| 4K(3840×2160ピクセル)|アスペクト比16:9|ステレオ

2-01
日本・資生堂唐草編01

資生堂唐草と美の生命力

明治維新からまもない1872年、資生堂創業者・福原有信(ふくはら ありのぶ)は、日本初の民間洋風調剤薬局「資生堂」を銀座に開きます。資生堂の名は、儒教の経典である「五経」の一つ、「易経」の「至哉坤元 万物資生(いたれるかな こんげん ばんぶつ しせい」という一節に由来しています。生命を育む大地の徳を讃えた社名には、新しい価値創造を目指す創業理念が込められています。
 1915年、資生堂初代社長となった福原信三は、経営主体を薬品から化粧品へ移します。欧米留学で西洋文化を吸収してきた福原信三は、デザインの重要性を認識して資生堂に意匠部をつくり、デザインによる時代の美の創造へ積極的に取り組みました。
 資生堂がデザインの要めとした唐草文様は、包装紙から香水瓶まで、西洋美と日本美を融合するシンボルとして広く使われてゆきます。世界の唐草をベースに生み出された資生堂唐草は、初期には「ルイの唐草」と称される、フランスのルイ王朝時代の唐草が規範となりました。また資生堂唐草は、シルクロード経由で伝えられた日本の唐草の歴史の記憶も受け継いでいます。資生堂の初代デザイナー、小村雪岱(こむらせったい)のデザインした資生堂の包装紙は、シルクロードの倉庫とされる正倉院収蔵の染織の草花文様をモチーフとしたものです。
 福原信三は、商品やモノを売ることだけを目指す企業は消え去ってゆくとし、「最大の芸術性を持つものが、最大の宣伝性を持つ」と指摘しました。資生堂唐草は、ある時は崇高に、ある時は生活の糧として、時と場所を超えた次元で、私たちが失っている世界の豊かさを垣間見せる美の遺伝子と言えるでしょう。

2-02
日本・資生堂唐草編02

資生堂唐草と山名文夫

私たちの生活を彩る唐草文様は、人類が長い歴史の中で生み出してきた美の遺伝子です。
 日本を代表する化粧品会社資生堂は、その創業時から3世紀に渡り、唐草文様をデザインの源泉としてきました。
資生堂の代表的なデザイナーだった山名文夫(やまな あやお)は、日本の近代デザインの草分けであり、長く多摩美術大学教授として後進の指導にあたりました
 「資生堂デザインのバックボーンは唐草であり、その文様は資生堂のポリシーとして、精神的なものへ高められた存在である」と山名は言いました。
 第二次大戦後、日本経済が安定期へ入る1950年代から70年代にかけて、唐草文様は時代の高揚感を表すように人々の生活に浸透してゆきました。そのデザインを主導したのが、山名文夫でした。資生堂唐草の命は線の美しさです。山名はその唐草の線の美学を確立した張本人と言えるでしょう。
 資生堂の感性の具現者として、山名は、女性の顔や表情、髪や体を流麗に、唐草のように連続させるイラストレーションを描きました。

2-03
中東およびイスラームの美術編01

イスラーム教のモスク —— 文様による祈りの空間とムカルナスの造形

 アラビア世界から砂漠を越えて、アジアを中心とした地域に広がったイスラーム教とその文化は、特徴的な文様装飾の美術を、高度に発展させました。
 イスラームの聖典コーランは「偶像」の崇拝を厳しく禁じます。そのため、彫像や平面に表された神の姿はありません。そして預言者ムハンマドの言行禄ハーディスによって、動物の絵を描くことも、神と等しく動物に生命を吹き込む行為への挑戦と等しい罪深い行為として、禁じられてきました。そのような、イスラームの教えは、洗練された(文様)装飾の美術の発展を成立させてきました。
 イスラームの装飾では、大きくわけて3つの文様の様式が確立されてきました。生命をあらわし、潤いと、活力を与える植物の文様、繰り返しと組みあわせで、宇宙的拡がりと人間の創造性を表す幾何学の文様、そして、コーランの言葉をカリグラフィーとして表すなど、文字をモチーフとした文様です。
 ムカルナスはモスク建築の入り口の上側に作られる立体的な文様の装飾です。へこんだ立体を鍾乳石状に積み上げる独特の装飾で、鍾乳洞の意味をもつ言葉です。単純な幾何学的要素を数種類繰り返したもので、小さな尖った窪みが層を成して繰り返す立体的な文様の装飾です。
 造形作家髙橋士郎氏は、ムカルナスの天井伏図を多数作図して、その形状と形態を比較分析することで、ムカルナスの様式は、大きく三つに分類できることを突き止めました。
 この三種類の様式は、イスファファンにあるジャーメ・モスクの中央広場を囲む、東、南、西の三方向にある、3つの建造物に施されたムカルナスによって、違いを同時に見ることができます。ジャーメ・モスクには、それぞれのムカルナスの型の違いが並んでいるのです。そして、このモスクに残されている三種類の様式が、この地を中心とした、イスラーム世界に点在するムカルナスの様式の分布と、方位関係が一致することを髙橋氏は突き止めました。(制作協力:川崎市岡本太郎美術館、髙橋士郎)

2-04
モンゴル装飾文様シリーズ01

アイヌと北方モンゴロイド

アイヌの人々は、北は樺太から、北東の千島列島、ロシアのカムチャッカ半島、北海道を経て、南は本州北部にまたがる、オホーツク海地域一帯に居住していた民族です。 アイヌの人々には、独自の言語であるアイヌ語があります。アイヌの人々は、独特の文様を多用する文化をはぐくんできました。彼らが使う調度品や、刀などの持ち物、そして服装には文様やシンボルが入れられてきました。
 アイヌ文様は、古くから、男性による木彫、女性の手仕事による刺繍によって、親から子へ、家系や地域で受け継がれてきました。そのため、アイヌの人々の文様は、地域や家庭によって特徴が異なります。また、つくり手によっても違いがあります。現在では、アイヌ文様をアレンジしたマークを用いた日用品が作られています。そのような刺繍や彫刻にも、地域性ごとの系統とともに、作り手独自のオリジナリティーを見ることができます。
 北海道二風谷の生まれのアイヌ刺繍家川上裕子さんから現代のアイヌ文様についてお話を伺いました。
(出演:川上ひろ子氏、制作協力:にむ倶楽部)

2-05
モンゴル装飾文様シリーズ02

モンゴル 文様の帝国

豊かな大地に恵まれたモンゴルは、古代から遊牧民族により育まれてきた豊かな文様、隣接する国々や宗教文化の影響を受けた文様が入り混じる「文様の帝国」です。文様は遺跡、建築装飾、宗教儀礼、生活用品、衣服だけでなく、祝祭の場を華やかに装飾します。モンゴルの代表的な文様「ソヨンボ」は国旗や国章にシンボリックに表され、仏教寺院では八つの吉祥文様が建築装飾や儀礼用品にみられます。なかでも幾何学文様の「ウルジーへー」や「アルハンヘー」は信仰だけでなく生活の場の至る所でみられます。そして祭典に集まる人々は馬を伝統的な馬具で装飾し、国内外の様々な文様を取り込んだデールで正装します。またモンゴルの楽器や音楽にも文様が奏でられています。2022年夏、研究メンバーらがナーダム祭典の時期にウランバートルとカラコルム(ハラホリン)で調査したモンゴルの文様の諸相を紹介します。

2-06
モンゴル装飾文様シリーズ03

メアンダー文様、起源への旅

およそ15,000年前に起きた地球規模の気候変動により長い氷河期が終わり、日本列島は温暖湿潤な気候に変化します。海水面の上昇により大陸から切り離された北海道でも、落葉広葉樹林が拡がり、森や海の恵みを利用した生活が始まりました。1万年もの長期にわたり安定した社会を支えたのが、土器の発明です。表面に縄目の文様がつけられていた土器から名付けられた縄文時代は、その名のとおり「文様の文明」と呼んでもよいくらい、多様で複雑なデザインを出現させました。
 この映像作品は千歳市にあるキウス周堤墓群から出土した、一本の石棒を取り上げて、これをユーラシアの先史時代のなかで眺めてみる試みです。縄文時代後期に作られた石棒のメアンダー文様は、遠くウクライナの地で発見された、マンモスの牙製の腕輪にも見られる、もっとも古い文様のひとつです。ウクライナから北海道へ来たアンナ・カルボフニチャさんが石棒を手にして、縄文の美に出会いながら、文様の遥かな地平を紹介します。
(出演:アンナ・カルボフニチャ、茅原 明日香他 協力:千歳市埋蔵文化財センター、さっぽろ芸術文化研究所 他)

2-07
文様アーカイヴシリーズ01

杉浦非水と『非水百花譜』

日本の近代デザインの先駆者として知られる杉浦非水は 1929 年、帝国美術学校の工芸 図案科の主任教授として日本のデザイン教育に 着手しました。
 1935年、多摩美術大学の前身である多摩帝国美術学校は、世田谷の上野毛で開校しました。学校設立者の一人で初代校長になった非水は、同時に図案科の主任教授に就任しました。 大学運営者であるとともに教育者でもあった非水は、学生たちに自らのデザイン制作を通して創作図案の重要性を説きました。その基盤は徹底して写生することにありました。

 杉浦非水 非水自伝 60 年(十二)三越時代後期 雑誌「広告界」73(1935) 雑誌「広告界」に掲載された「非水自伝60年」の 12 章 三越時代後期の一節に『非水百花譜』のことが回顧されています。
 「1921年3月に春陽堂から『非水百花譜』第一輯を発行した。これは数年来描き溜め た花の写生図百種を二十集に分割発行する計画 であって、大版鳥の子紙に木版手摺り のもので、春陽堂が美術出版物として多大の費用を拗つての大出版物であつたが、編集 印刷行程 も順調に進んで翌々年春に二十集を完成することができたのであった。」

多摩美が所蔵する『非水百花譜』を広げた全容(撮影)『非水百花譜』は、日本画の基本とも言える「植物の写生」の集大成と言えるも のです。 多摩美術大学図書館には、『非水百花譜』の復刻版、昭和時代、1929 年から 1934 年に 発行されたもの、初版に印刷版が所蔵されています。
 100年前に発行された『非水百花譜』は、非水のアート・アーカイヴ的な思考の証です。『非水百花譜』では、植物図にまつわる写生 年月日・場所、写真撮影の年月・撮影 者など制作工程を辿ることができる情報が整備され、植物に対する主観的な植物画(本図) と客観的な図(付図)及び写真と植物学的な解説が加えられています。

アーカイヴとは、重要な記録を保存・活用し未来に伝達します。 非水はまさに、植物の写生をメインに、植物に関する情報を総合的に 記録し・保存し出版 物という形でアーカイヴしたのです。『非水百花譜』は、植物をテーマに写生に基づく記録と学術的な記録を保存活用し、私た ちに伝達しようとした20 世紀の先駆的なアート・アーカイヴだったのです。

2-08
文様の起源を求めて01

文字と文身 桐生眞輔に聞く

文様はどのように生まれてきたのでしょうか。文字の誕生や、肌に文様を残す文身(ぶんしん)の習俗の発生にその手掛かりを見つけるこ とができるかもしれません。
 神話伝承によれば漢字の起源は中国開国の帝王・黄帝(こうてい)の書記官であった蒼頡(そうけつ)が、自然宇宙の様相や鳥獣の足跡に文字を見い出したことに始まるとされていますが、その発生は長い間、闇に包まれていました。しかし19世紀末、漢方薬の「竜骨」として売られていた骨片に、何やら文様、文字らしきものが刻まれてい ることに気づいた学者がいました。後に、その骨片に刻まれていたもの、それが中国最古の文字であったこ とが明らかになります。後に「甲骨文字」と呼ばれるようになりました。
 「文字」や「文様」の「文」という字は、人間の正面の形を象ったものとされます。 甲骨文字が発展していった青銅器時代の金文と呼ばれる中国古代文字には、「文」の内部に「心」という字 が収められたものを見つけることができます。
 日本の文字学の権威・白川静(しらかわ しずか)は、これを文身を施した人間の正面の姿であるとし、「心」は心臓の形であり、その字形には生命の根源と死者を呼ぶ招魂の意味が秘められているとしました。
 こうした解釈に対し、京都芸術大学文明哲学研究所の桐生眞輔さんは独自の視点から新たな知見を提示します。
(出演:京都芸術大学文明哲学研究所の桐生眞輔氏)