1東京芸術大学

1-1大きな壺

井上

最初に東京芸術大学の島田先生から、カリキュラムを含めて、大学で具体的にどのような教育をしていらっしゃるのかをまずお願いします。

島田

まず、東京芸大の開講の経緯と目的と使命をお話しておきますと、昭和39年に、工芸科の中に陶芸と染織が新しく増設されました。最初は加藤土師萌先生、藤本能道先生、田村耕一先生、助手や講師が浅野先生、三浦小平二先生、宮脇昭彦先生という布陣で始まったんです。藤本先生は、それ以前、京都芸大にいらっしゃったのですが、東京では京都芸大と同じことをやっていたらだめだということで、自分の仕事まで、走泥社から伝統工芸に変わりました。そういうことで、藤本先生の考え方が、芸大の中の主流になっています。ただ、伝統工芸にどんどん入っていくと今度はそれで固くなっていっちゃうものですから、つぎの浅野先生は、食器のほうに傾倒していきます。それで学生も、いいか悪いかわかりませんが、そういう傾向になって行きました。僕は東京芸大という名前からすればもっとアーティスティックな教育も必要じゃないかと思い始めまして、轆轤は非常に重要視しますけれども、伝統的なものだけという教育の締めつけは、いまは変更し始めております。

現在、東京芸大の工芸科は、入学時の学生が全体で30人。最初1年間は工芸科の基礎をやりその中で、大学院工芸講座の木工、ガラス造形の実習を受けます。2年生になったら、6講座(彫金、鍛金、鋳金、漆芸、陶芸、染織)のうち3講座を選択し1講座を約1カ月単位でまわって素材実習をします。前期中に専攻を決めて、5、6人ずつの専攻に分かれるわけです。2年生の後半は各専攻に分かれます。陶芸は陶芸の基礎教育を半年間やる。3年生で初めて正式に陶芸専攻に入る。以前は3年生から専攻別に分かれていましたが、10年前からそれを早めて、2年生の後半から専攻に入ることにしました。

陶芸では、最初、とりあえず轆轤と石膏型をやらせます。3年生の前期は、大皿と大壺をいきなり作ります。

東京芸術大学 学生作品 東京芸術大学 学生作品 東京芸術大学 学生作品 東京芸術大学 学生作品 東京芸術大学 学生作品

井上

課題としては、大きな壺と大きなお皿をつくりなさいと。

島田

そうです。

「大きい」というのは、高さや直径で何センチという決まりがあるのですか?

島田

いや、ないです。大皿、大壺っていうだけです。

井上

学生から、そういう質問はないですか。

島田

ないです。常日頃から、陶芸科はみんな顔を合わせて陶芸科はみんな顔を合わせて大部屋で実習していますから、「大きい」というのがどれくらいか、だいたいわかるという感じ。

北澤

サイズに特化するというのは、どういうお考えによるものですか。

島田

大壺、大皿が挽けると小物が楽に挽けるんですよ。職人さんだと、例えば同じ形を毎日挽くわけで、それだけしかやらない。しかし作家として重要なのは、何でもつくれることです。手捻りに、大壺、大皿ができれば、小物は応用が利くわけです。ただ今年からは、「大壺大会」という企画も始めています。10kgの土でできるだけ大きいものをつくるというコンテストで、3年生から博士まで全員が参加して。それで高さと径を計って競い合う。径を大きくするのは難しいので、径は4倍して高さと合計するんです。たとえば径が30cmだとしたら4倍して120、プラス高さが30cmだったら120+30で150点。

天野

粘土10kgというのは、轆轤にのせて挽くときに、ちょうどいい量ということですか。

島田

いえ、10kgというのはわりと大きいんですよ。それを挽き上げるのは、ある程度実力がないとできないんです。助手も教員も全員加わってやりますけど、第一回目に1番だったのは豊福先生。ぼくは5番目ぐらいでした。

天野

薄く、なるべく大きくできる技術があれば点数が高くなるんですね。

島田

2回目は博士課程の学生が一番でした。下が小さくって胴が張って口があるという、そういう形にしたら点数が上がるんです。要するに、数字化してみんなで楽しむわけです。ほかにも、今年は彫刻の北郷悟先生のところの学生と、陶芸の学生を課題に応じて交換しようと持ちかけて、1人ずつの交換ですけど、そんなことも始めています。というのも、じつはぼく自身、学生のときの陶芸の実習に幻滅した記憶があるんですね。当時、陶芸の場合は、最初の1週間ただ轆轤を挽くだけ。それで、先生との面接の時にものすごくがっかりしました。伝統的なものをやりなさい、という雰囲気でしたので。その当時、ぼくなんかはイサム・ノグチだとか、ああいう家具デザインだとかにも憧れていたんです。そういう方向で陶芸をやりたいなあなんて思っていたのに、入ったとたん、とにかく轆轤をやれ、という感じでした。これでは芸術大学という名前がちょっと恥ずかしいんじゃないかなと。それで、もっと芸術を考えるような、個性をもっと広げるような意味で、彫刻を取り入れたらいいのではないかとかねがね思っていたんです。

北澤

なるほど。

1-2窯をつくる

島田

いま、大学院生は5人くらいですけど、取手の第2校舎に1年間移って実習しています。そこで、大学院では、取手校地の斜面に自分たちで企画、立案、設計した窯をつくりなさい、と。4月から設計をして5、6、7月。窖窯とか三方窯とか、それぞれ自分たちで産地に行って見てきたり、文献を探したりしてつくるわけです。

井上

毎年つくって、また壊すんですか。

島田

5年間で5基つくりますけど、その中で悪いもの、欠陥のある窯を潰しながら、毎年1基ずつ更新していきます。

井上

悪いのって、かわいそう。

島田

焚いていて隙間が開いてきたり、温度の上がりが悪かったりした窯から更新していきます。窯を作ることで、レンガの割り方だとか、窯の築き方を習得するわけです。益子の人が非常勤講師として月に1、2回来て学生に指導されています。人気があるのは窖窯とか蛇窯で、学生に、ヒントを与えてやる気を起こさせるんですよ。自分たちで形態、大きさを考えて、どれくらいの耐火レンガが必要かとか、だったらいくらかかるかとか。

これは、自分たちの窯で制作した大学院1年の作品ですが、やっぱり「灰被り」とか、そういう傾向になってしまいますね。

これも大学院生ですけれど、イランの留学生ですね。ほかに韓国、中国、ウルグアイ、それに10月からは、インドネシアとドイツからも学生が来ます。

島田

みんなひっくるめて同じ場所で仕事をしますから、日本の学生は海外の陶芸に目が開くし、留学生は日本の仕事を見ながら自分で考えていくわけで、そういう刺激はいい効果が出ると思いますね。

北澤

大学院教育というと、ドクターの場合、論文審査がありますね。

島田

ええ、10年くらい前から始まっていますね。

北澤

実技系の人が論文を書くことについて、どうお考えですか。 プレゼンテーション能力をつけるということだと思うんですけど、査読を頼まれると、やっぱり迷う。実技系の学生の論文は制作ノートのようなものでいいんじゃないかと、ぼくはいっているんだけど、それだけじゃ通らないといわれるし。

秋山

美術大学、芸術大学のドクターにおける論文の位置づけというのがまだ定まっていませんよね。文部科学省は一般大学を念頭においてドクターを規定していますから、それが美術大学にも押しつけられている状況になりますよね。実技と論文の比重はどうなんだ、とか。

北澤

関連づけがどうなっているか、とかね。

島田

ぼくもドクターを5、6人抱えていますけど。専門性に富んだ自主研究の分野ですから、時々ヒントを与え指導するくらいですね。論文は自分の研究テーマに基づいた創作ノートみたいな観点で書かれており、研究主題と結論がはっきりしていればいいと思っていますよ、学科系の学術論文的でなくて。

北澤

作品と論文をセットにして捉えるという考え方ですか。

島田

セットというか、主が作品で、副が論文ですね。

1-3同じ釜の飯

井上

全体的な話に戻りますが、東京芸大というと、先ほどもお話に出たように「同じ釜の飯を食う」という雰囲気がありますが、それについて聞いてみたいですね。少人数だからできることなのか、もともとそういう伝統なのか。例えば徒弟制度のような、弟子入りをして仕事を見ながら覚えていくという教育に近いんでしょうか。

島田

教室自体が大部屋というか、学年で分かれていなくて、全員がそこで実習しているわけですね。誰がきていないとか、よくやっているとか、ちょっと見るとわかる。そういう中で、それぞれ自分の課題をこなしています。壺の挽き方に難儀している時には隣の学生が教えてあげたりしています。またそういう教える事が好きな先生、学生もたくさんいて、お互いに刺激を受けながらやっていっているわけですね。

先生の仕事場もそのスペースにあるわけですか。

島田

大部屋教室があって、隣接して先生たちの部屋があって。

そこで実際に仕事をなさって。

島田

轆轤を挽くときは自分の部屋で仕事しますが、釉を掛ける時は大部屋でないとできないので、そういう時はぼくの仕事も大部屋でしますね。

樋口

先生も、制作はほとんど大学でされているわけですか。

島田

はい。それはぼくが大学に残る時に、浅野先生からいわれましたね。

そうしなさい、と?

島田

藤本先生も、かなりの時期まで大学の工房でやっていましたよ。ぼくは学生でしたけど、藤本先生が徹夜で轆轤を挽いていて、張り合ってぼくも一緒に明け方まで挽いていました。まわりは明るくなっていたので何時までやったかなあ?

井上

講座ができてからずっと、学生に見せるというか、先生と学生が仕事場を共有するというか、そういうことで教えている……。見なさい、感じなさい、というか。

島田

先生も自分の個展の作品を同じ窯で焚きますから、学生も窯の厳しさがわかるわけです。こっちも寝ないで焚きますけど、それに学生も一緒につき合ってやるという状況です。

北澤

学生が先生の制作を手伝うとか、そういうこともあるんでしょうか。

島田

浅野先生の時は、食器が中心でしたから釉掛けとか、化粧掛けとか、何百個と助手と学生が技法研究を兼ねて手伝っておりました。現在、僕自身はあまり手伝ってもらっておりません。手伝ってもらって雰囲気がかわってしまうのがいやですから。もちろん学生同士はお互いに手伝っております。窯焚きなどはローテーションを組んだりして助けあっって窯焚きしています。

1-4自学自習

井上

東京芸大のように、大皿、大壺と提示をしただけで学生がほぼ同じことをやってくるというのは不思議です。言葉のやり取りとは違った伝え方があるのか。こちらの場合は、言葉で伝えようとすればするほど、皆いろんなことを考えて全然違う方向に行くわけですからね。もちろん、浅野先生のように、教えるのか自分の制作をするのか、何が本分かわらなくなって線引きが難しいという面もあると思いますけど、ともあれ、実技教育のやり方の1つの例として、東京芸大の場合は、先生もそこでつくって、学生もつくって、細かくあれこれいわない、と。

島田

ぼくが学生の頃はカリキュラムもなかったですよ。何をつくれともいわれなかったけど、ぼくは田村先生から、湯呑み1000個つくりなさいと個人的に言われました。それで3年の初めに、じゃあやってみようかと思い立ちやりました。前期で500個、やっとできたんです。仕事をやればやるだけ、窯焚きだとか釉掛けだとか、いろんな問題が発生してきて、それを解こうとするわけですから、陶芸の難しさだとかテクニックが自然とわかってくるわけです。ですから、いまも学生の課題は自己制作ができるように甘めに出しております。自学自習というか、自分の意欲、目標が強くあればいいんじゃないかと思っています。

北澤

それは3年生以上の専門教育の話として聞いてよろしいのですよね。つまり基礎教育としての轆轤、石膏、鋳込みっていうのは、逆に完全な技術指導であると。

島田

もちろん、基本的な事柄は最初に教えますが、だからといってこれは完全な技術指導として教えないですよ。新学生が見よう見まねで轆轤をやり始めると、熱心な先輩学生がいっぱいいるので、ここはこうするんだよとか面倒を見て教えてくれます。

井上

手取り足取りの技術指導は、まったくないと。

島田

ないですね。芸大は、要するに作家を養成する学校ですから。作家というのは自分で何かをつくって生きていくわけで、基本的には自分の力で推進して行くことがいちばん重要なポイントだと思います。それに対して私達はヒントをあたえる教育をやっている。それで、卒業生の進路を助手の人に調べてもらったら……。

井上

95%が作家活動しているということですか。

島田

そうです。

井上

ほぼ全員が何がしかの制作活動を続けていらっしゃる。

島田

そうです。何年か前のことですが、ある日突然9月にスーツを来て教室に来た女子学生が何人かいて不思議だなと思ったものですから、「何かあるのか?」て聞いたら「就職活動です」って。その学生たちは、ガラスの会社に就職して、3年か4年実直に勤め、お金を貯め会社をやめました。現在は自分の工房をつくって制作していますよ。

冨田

作家デビューの方法について、アドバイスというか、何か方針はあるんですか。「日本伝統工芸展に出しなさい」とか。

島田

以前は「伝統工芸展」に出品しないと芸大生じゃない、なんて感じがあったんですけど、ここのところ少ないですね。ぼくも学生には、自分に合うところに行きなさい、いろんな公募展にも出してチャレンジしなさいといっています。

井上

かつては、芸大で学んだ学生が卒業してから活動を続けてゆく場合「日本伝統工芸展」に出品するという道筋があるように思っていました。傍目で見て、一定の道筋をうらやましいと思う反面、求めていることが違うなあと感じていました。そういえば、以前、島田先生に多摩美で特別講義をお願いした時、「食器」と「器物状の作品」の違いについて、先生が自作を「食器はつくっていない、表現として捉えている。」旨のお話しをされました。器物形体という点では、先生がつくられる壺も、ふつうの食器も同じだとぼくは思ってたんです。「表現」というキーワードでは共通しているわけです。多摩美でも轆轤の課題は出すんですけれども、「壺皿をつくれ」とはいわない。そういう違いって、面白いなあと思います。

島田

噂では、多摩美では、作品の形の中に何か凹みがあると、これは「器」になるからダメだめだとか。

井上

誤解です。でも、そういうふうに伝わってもおかしくない。それくらい、芸大と多摩美はこれまで交流がなかった。

島田

芸大も鎖国状態だったから。いまはできるだけいろいろな作家を呼んで学生に刺激を与えようとしていますけど。田嶋先生にも来ていただいて。

田嶋

皆さん「同じ飯を食べている」という状況がよくわかりました。朝おじゃましたら皆いろんなところから「おはようございます」って出てくるので、何なんだこの学校は、ここで寝泊まりしているのかって。キッチンもしっかりあって、歴代の鍋とか梅酒の壺があって……。

島田

料理をつくったりするのは、浅野先生の影響でしょうね。食器をつくるには、うまい料理もつくれなきゃだめだっていうところから出発している。

北澤

やっぱり、エリート教育の典型的なあり方だという印象がありますね。