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update20011114


■校友会記念講演会

「映画の楽しみ方」

映画評論家
多摩美術大学美術学部二部学部長
品田雄吉

SHINADA

 

 ご 覧になった映画はチャールズ・チャップリンの「キッド」という映画です。1921年に作られたもので,77年前になりますが,今見ても立派に鑑賞に耐えうるというのは本当にすごいと思います。
 チャップリンのコメディの特色は,必ずセンチメントというか感情の思い入れが割と濃厚にあり,ここが他とはちょっと違う所です。笑って,それからしんみり,時には泣いてというように,全ての要素を盛り込むというのがチャップリンの映画の特色であり,それが大衆的な人気の基にもなったというように見られています。
 この映画でも子供を捨てざるを得なかった母親の子供への思いというものが底流にあり,ただ笑わせるだけではなく両方の要素を持っていることがわかる。そんなふうに,映画を見て,どういう風に自分の見方を進めていくかということになるといろいろとあるのではないでしょうか。
 この「キッド」を見ても,ほんのちょっとした部分から,1920年当時のアメリカの風俗が見えてきます。キリスト教というものがアメリカ映画において非常に強い土台としてあるということ,また俗っぽい所で言うと,それぞれの家のガスがメーター制になっていて,お金を入れた分だけガスを使うというシステムがあの時代アメリカにあったんだということ,パンケーキの食べ方,車のデザイン等。こういった形で一種の生活風俗史としてみても楽しいのではないかと思います。
 作った人は将来これが風俗的魅力になるだろうとは全然考えないで作っていますが,今見るとそういった値打ちが出てくる。古くなればなる程,映画はフィクションでありながら意外にその時代の痕跡,証拠のようなものをきっちり残している場合があることが解ってくる訳です。
 映画とは結局,個人の関心の持ち方で随分変わってくると言えると思います。私は映画をどんなふうに楽しむかという話をする時必ず言うのですが,映画は可能な限り,ビデオなどで見るよりも,映画館へ行って見るべきです。自分の家のテレビでというと,日常の延長として見てしまう感じになりますから,映画と正対するという緊張感がなくなってしまう。
 日常というのは民俗学的に言うと「ハレ」と「ケ」の「ケ」の世界だといわれます。逆に,映画を見るというその場所,行動は「ハレ」の世界になる。ですから映画館の暗やみの中に入ると,日常と違う精神的な緊張感みたいなものが生まれる。その中では違った世界,違った時間と空間が展開してゆく訳です。 解りやすく言うと,例えば西部劇を見て出てきた人はゲーリー・クーパー,東映のやくざ映画見て出てきた人は高倉健のような顔して歩いているとか,そういったことです。映画館という空間,暗闇の中ではそんなふうに他の人物に感情移入して,その人物に一時成り代わる,という形でカタルシスを覚えて気分をリフレッシュ出来ます。そしてそれが,また映画を見る楽しみに繋がっていく。
 映画館は日常の生活から切り離された空間であり,しかも周りには知らない人がいる。匿名の多数の人間がいるということが大事なんです。これだけは自分の家でそういう仕掛けを作ることはとてもできない。知らない人が周りにいてその中で一人でいる。自分が可笑しいと思った所で笑うと,周りの関係のない無名の人達も笑う。自分もその中の無名の人の一人になっているわけです。
そうして,館内だけの一種連帯感みたいなものが生まれる。これは映画の上映が終わると無くなるものですが,そのつかの間の興奮,共有している感情,そういったものが非常に大事だといえます。これはビデオでは味わえないことです。
 そしてこれは私たちみたいな古いものがよく言いたがることですが,昔のその映画を観るという行為は一種の真剣勝負みたいなものだったのです。いつでも観られるものではないのでその時に一生懸命観ていた。ところが今は映画で見るだけでなくビデオで見ようと思えば何回でも観られます。だからそういった緊張感も生まれなくなってきてるのではないか。
 例えばいま日本で公開されて大ヒットしている「タイタニック」という映画があります。この映画は,リピーターが多いそうです。実際に,私は6回見ました,私はX回見に行ったとかいう人がいる訳です。
 考えるに昔はそんな見方はしなかったのではないか。ひょっとしてこれは今の若い人たちがビデオで映画を見るという習慣を持っている為に繰り返し見るという癖がもう身に付いてしまっているのではないか。このような行動パターンが生まれていることは非常に興味深い事です。私たちの世代は1回観ることでどれだけ吸収するか,どれだけ味わうかということが,むしろ見る側の非常に大事な姿勢だと思っていた様な気がします。
 その映画が好きで,何十回も見るという傾向が生まれているというのは,やはり映画との付きあい方,楽しみ方が私たちの体験してきた歴史とはまた違った展開をしているのかと思います。
 ただ,ひとつ変わらないのは映画は基本的に1回始まったら最後まで付き合わなければならないという所です。これが意外と映画を見ることの良さでもあります。ある意味で非常に他律的とも受け取れますが,そのことによって常に自分の感覚・神経・精神をいい状態で映画と付き合っていなければ,ということがあり,それによって,感受性が老い込まず,いつまでもいきいきとしていられるという訳です。これがとりわけ映画館で映画を見るということの大事な点ではないか。ですからよく言うんです。若さを保ちたいと思ったら映画を見なさい,映画を見るといつもいきいきした状態でいられますよと。
 実際私の周りで映画を見ている大先輩,例えば淀川長治さん,89才になられましたが精神は実に若い。それはやっぱり,映画をずっと見てきたということの非常に良い結果ではないかと思っています。
そのようにいきいきとした神経を持ちながら,感受性を持ちながら映画と付き合っていただきたい。これは映画の楽しみ方の一番良い所ではないかと思います。

(平成10年6月7日・講演会より抜粋させていただきました)