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update20011114
 

 


■校友会記念講演会

「私と多摩美術大学」

奥野健男※   
多摩美術大学学部長

 「6月2日講演しろ。良いか?」と,ある朝9時頃,校友会会長の勝呂忠さんから電話がかかってきました。ぼくは「良くない。」と返事をすると「良くないじゃ困る。」という感じで今日ここに引っ張り出されたわけです。
 勝呂忠さんとは昭和20年代からの飲み友達で,僕の処女作の「太宰治論」,「現代作家論」,「日本文学の病状」の装幀をして下さった。 1961年,当時一緒に「現代批評」の同人をしていた美術評論家,瀬木慎一さんに「奥野は東京工業大学を出て科学が専門だから,多摩美術大学の自然科学の教師になってくれよ。多摩美術大学が新制大学になったけれども自然科学概論の講義がなくて文部省から理事長が怒られたらしいんだ。」と突然言われました。5月の連休のころむりやり上野毛に引っ張って来られ,体のでっかい村田理事長に「明日から,この学校に自然科学を教えに来てくれ。」と,断わる間もなく教えに来ることになってしまいました。それが多摩美術大学との出会いだったわけです。
 「太宰治論」の著者がぼくとわかると,学生から自然科学の後,文学の自主ゼミをやってくれと頼まれました。結局,自由が丘で夜12時に解散というゼミをしていたものです。そしてその1年後,文学の講義もするようになり,その頃,自然科学と文学の講義をしていたので皆に「午前が理科で午後が国語,多摩美術大学って小学校みたいな学校だね。」といわれましたが,ぼく自身もそう思いながら結構気にいって講義をしていました。後期の授業は,ぼくの専門の高分子科学のプラスチックの話,前期の授業は自然科学,宇宙の始まり,オパーリンの「生命の起源」などの話をしていました。
 「奥野先生のビッグバーンやブラックホールなどの宇宙の話は自分の作品に大きな影響を与えてくれた。」と言ってくれる学生,三島由紀夫の死の翌日,教室に入りきれないほど聴講しにきてくれた学生,たくさんいい弟子に恵まれたと思います。ぼくは勤めが嫌いで東芝をやめましたが,まさかこんなに永く多摩美に勤めるとは思いませんでした。遊びにきているみたいに楽しく学生と授業をし,勤めながら60冊の本を書かせてくれた多摩美は本当にありがたい大学です。中庭で加山又造さんと「原風景」について議論をしたり,東野芳明さんとか佐々木静一さん,箱崎総一さん,李禹煥さんなどいろんな友達がいて多摩美に来るのが楽しかったからかも知れません。
 学生も一人前の芸術家気取りですからめそめそしたところがなくて刺激的でした。
 大学院の修了式に 「先生,記念に目黒エンペラー(当時の連れ込み宿)にいきましょう。」と女子学生にからかわれたりしました。芸大に行ってしまった版画家の駒井哲郎さんも「芸大にいったら先生,先生って呼ばれるけど,多摩美は良かったな,駒井さん,駒井さんってみんなが呼んでくれて。」と言うくらい教師と学生が友達みたいにやっていました。
 多摩美は自由な校風と合わせて,闘争の歴史があるということを「多摩美術大学50年史」を制作する中で改めて知りました。上野毛校舎への移転から始まり,70年闘争など。そしてオリンピックで環八が広がるときも「オリンピックよりも教育の方が大事だ。道を広げるなら反対側を広げろ。」と当時の村田理事長からして頑としてきかない喧嘩っぱやい学校だったようです。しかし,教員にしても学生にしても真面目に闘い,その闘いの中からエネルギーを得て太ってきた気がします。
 ぼくも多摩美術大学も実に変っているようです。東京工業大学で高分子化学を専門にし,同時に文芸評論家でもあり,東芝の中央研究所に勤務しICの前の印刷回路プリンテッド・サーキッド(PC)を発明して大河内技術賞,特許庁長官賞を受賞するというふうにいろいろな分野を越境しているためか皆におかしがられています。今は多摩美の美術学部長ですが「文学者がなぜ美術学部長なのか。」とよく聞かれ,「多摩美は美術学部二部学部長は映画評論家で教務部長は音楽評論家なんだよ。(※1)と答えるとようやく納得してもらえます。
 最近のゼミではぼくが関心をもっているトポロジーの話を学生としています。文学においても場所というのが意味あるものですし,マンダラ,近頃はやりの風水,携帯電話,インターネットなどを調べていくとおもしろいんではないかと。ゼミでは学生がおもしろいことを言ってくれますし,いまだに卒業生が連絡をくれたりぼくにとって多摩美は教師でいさせてくれたくれたが,また,そこの学生だったような気がします。多摩美はおかしなぼくが36年も勤められる真剣で自由で刺激的ないい大学だと思います。
(平成8年6月1日 記念講演会より抜粋)

(※1)教務部長の秋山邦晴教授は平成8年8月17日に御逝去されました。謹んで哀悼の意を表し,ご冥福をお祈りいたします。
※奥野健男名誉教授は平成9年11月26日,御逝去されました。
 生前はご多忙の中,校友会活動にご協力いただきました。慎んで哀悼の意を表し,ご冥福をお祈りいたします。