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update20011114

 


■多摩美術大学生涯学習プログラム開講記念講演会

芸術と人生−老人力と赤ん坊力

鶴見俊輔・赤瀬川原平 司会:米倉守
主催:多摩美術大学 後援:多摩美術大学校友会

米倉 今世紀最後のビッグ対談ですね。今日お二人が大学へお見えになったときに渡辺達正教授が、銅版画を先生たちにやってもらおうというちょっとした遊びをしました。赤瀬川さんは猫の絵、鶴見さんは「もうろくしていないふりをしたくない、2000年6月4日虫歯の日」と書かれました。刷ってお渡しするんですが、双方すごくいい。
 鶴見さんは20世紀を代表する思想家の1人。「思想の科学」を出され、うむをいわさぬ筆力と座談の名手で幅の広さは無類。大衆文化から柳宗悦、推理小説の夢野久作、ストリッパーの一条さゆりから漫画のガキデカまで文明論にしてゆく凄さは抜群です。最近は子どもの目に沿って自分の考えをまとめる論を出され、赤ん坊と老人は異種同形だという言葉がでました。もちろん頭の中に赤瀬川原平さんの老人力があったんだろうと思います。
 これを読んだとき、同時代のジャーナリストとして、二人を会わせる責任があると思い呼びかけました。赤瀬川さんは単なる画家でもタダモノではない多様全体人。尾辻克彦という名の芥川賞作家、私の記者時代“アカイアカイ朝日ガアカイ”という桜画報の筆者であり、千円札模造事件の有罪者、前衛美術家であり路上観察のトマソン、そして老人力とこの幅の広さも比類がない。今日、鶴見さんの赤ん坊力、赤瀬川さんの老人力の対談が実現したわけですが、赤ん坊のほうからはじめてもらいます。
鶴見 初めて赤瀬川さんにお会いしたとき、現代の怪物という写真の載った「広告批評」をもっていて、赤瀬川さんも載っていて、その前のページの長い顔が森毅だったんです。見開きですから森毅と赤瀬川さんが閉じては開くとキスするんです。「気持ち悪いなあ」「気持ち悪いなあ」と自分とキスさせて無限にやってるんです(笑)。これ老人になってボケてもやれる芸なんですね。これが芸術かどうかは別ですが、赤瀬川さんの芸術の定義が周りがボワーッとぼけていて、人生に繋がっているんです。ここは赤ん坊と似てます。
 赤ん坊はすべてが一つの生きる力になっていて、これ芸術でもあるし、実際の行動でもあるし、未分化なんですよ。老人には二度目のそれがあるんです。つまり、不自由になってゆく、僅かなことしかできないことは赤ん坊に似ているわけです。この二度目であることを活力として使えないか、という問題があります。その先に死ぬということがある。老人の底にあるのは死力なんです。赤ん坊の方は全生命力をかけて何かやっている。老人の方は死力を尽くして、そこのところが違うけれど、異種同形という感じがしますね。
赤瀬川 両方共通している点は、人間の頭で考えるというところから離れたとこじゃないかと思うんです。頭、人工の力というのはできるだけ物を貯めていく力だと思うんです。例えばお金で財産を貯めていくみたいなことなんですが、それを削って捨てるというのは頭ではなかなか欲張りだからできない。が、歳をとると筋肉も緩んでくるし、いやおうなく抜け落ちていっちゃうんです。それをずっと見ていられるのが老人力だと思うんです。
 余分な力を捨てる。僕は芸術というのは確固としてあるものだと若いころ思い込んでいた。芸術だと思って追いかけていくと、何か遠くへ逃げちゃっているというか、捕まえてみたら全然芸術でもなんでもない物だったり。
 僕は芸術はすごく気の弱い動物みたいな感じがするんです。
鶴見 言葉が逃げていくというのが老人です。
赤瀬川 聞いた話ですが、最初名詞を忘れて、その次に形容詞を忘れるらしい。最後は動詞を忘れるというんです。名前はまあ忘れます。動詞を忘れるというのはすごいと思うんです。あの、あっ飛行機が・・・・・まあ飛行機も忘れているんですが、「飛んでる」というのがいえないわけです。「あっあっ」だけですよ(笑)。
忘れたおかげで、とんでもないものがヒュッとでてくる。
鶴見 もともと日本の文化には明治時代以前にあったものが削られていく、変えていくという問題ですが、赤瀬川さんの歩いた足跡をずっと振り返ってみると、はじめは前に前に進んでいったと思うんです。アヴァンギャルドです。前衛、前衛、前衛。貧乏も恐れず、犯罪者になることも恐れず(笑)。前へ前へ行かれるんですが、前へ前へ前へと歩いた結果、結局後ろへ戻っていった。
赤瀬川 そうだった。ええ。
鶴見 老人の社交と赤ん坊の社交は似ているんです。赤ん坊を何人か置いているだけで、愉快になり、元気になる。なんかかんかいっているが、あれ全部トンチンカン。だけど何か伝わっているんですよ。老人もそう(笑い)。
施設で熱烈に話をして愉快になっているんだけど、テープにとって分析してみると、全然トンチンカン(笑)。だけどお互い愉快なんです。根元的なコミュニケーション、芸術的なコミュニケーションだな。
赤瀬川浸っているんです。ことばはもう単に道具、ことばを越えたもっと深いもの、赤ん坊力、老人力の実体があるとすればそういうものかなあ・・・・・・。
※膨大でユーモア、スピリットのある豊かな内容でしたが、これはほんの抄録です。(米倉)
対談の全文はH13年1月出版予定(ビジョン企画出版)の「art VISION」21世紀第1号に掲載いたします。

鶴見俊輔
1922年、東京都生まれ。哲学者・思想家。
'42年、ハーバード大学哲学科卒業。'46年、雑誌『思想の科学』の創刊同人となる。プラグマティズム論理学に依拠、日本人の思考様式の非合理性を批判し、その民衆意識大衆文化・思想史を明晰に分析し続け、独自の研究領域を確立する。著書−『夢野久作−迷宮の住人』『日常的思想の可能性』など多数。

赤瀬川原平
1937年、神奈川県生まれ。作家・美術家。
'60年代に参加した「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」や、高松次郎、中西夏之らと結成した「ハイ・レッド・センター」を通じて、日本の前衛芸術の先駆的活動を行う。その後、画家・イラストレーターとして活躍する一方、尾辻克彦のペンネームで作家活動も始める。著書−『老人力』『老人力2』『日本美術応援団』など多数。

米倉守
1938年、三重県生まれ。本学造形表現学部長・ジャーナリスト。
関西大学文学部国文学科を卒業後、28年間、朝日新聞社に勤務する。奈良・京都支局では“お寺(宗教)記者”をし、'70年万博で美術記者として本学教授であった東野芳明氏に出会い、現代美術にかかわり、共感した。'89年女子美術短期大学非常勤講師、'94年本学教授。