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■校友会記念講演会

「『かざり』の日本文化」

多摩美術大学学長
辻 惟雄

 今日お話するのは、日本文化の中で「かざり」が占めている役割でございます。日本文化を私が学びだしてからわかったのは「かざり」というものの重要性です。
 日本文化というのは大陸文化から栄養を吸収して育ったものであって、極端に言えば中国文化のコピーだなどと言われることもあります。しかし私としては何か違った特色があるんではないかと思うんです。それが「かざり」、すなわち美術史の言葉で言うと装飾性ということになるわけです。西洋の日本美術論を読むと、必ず装飾性、デコラティブな要素が特色としてあげられていますが、私に言わせればその装飾性はちょっと変った趣きをもっておりまして、特にデザインの奇抜な面白さに独特なものがあると私は思います。奇想のデザインといいますか、そういったところに日本の装飾性の大きな特徴が現れていると思います。これ以下約30枚のスライドをお目にかけながら日本美術の「かざり」というものがどのように展開していったか、ということを説明させていただきたいと思います。
※スライドの上映と解説
 日本の「かざり」。デザインの流れを時代を追ってざっと見て来たんですが、ここで日本の装飾美術の特色、「かざり」の特色はなにかを手短に挙げてみましょう。
 まず、装飾のモチーフに関してですが、自然物があくまでもモチーフの対象になっているということ。そしてそれをそのまま使うのではなく、あくまで装飾的に変形して使っている。別の言葉でいうと自然物の装飾的変形ですね。感じたままにそれを変形する。例えば「日月図屏風」のように、太陽を大きな円に描いたりする。ああいった印象主義的な誇張というものが出てくる背後には子供のように感じやすいこころがあります。日本人は子供っぽいといわれるところがありますが、こういった装飾美術には確かにそういう要素があるのではないでしょうか。また、それは逆に意図的なものでもあって、あえて効果としてそういったものを狙っているというところもあるのではないか。これはゴンブリッチというイギリスの美術史家が日本美術について触れているところで、「アクセントとしての破調」という言葉を使っている。そのとおり、あえてバランスやシンメトリーを崩すことでアクセントを作るという心憎い企みがあるのではないかと思うわけです。
 要するに日本美術はいつも一回限りの意匠の奇抜さの演出に賭けるんですね。その場その場の奇抜さというものに賭ける。同じようなことを二度もくり返すというのは単調さ、形式化につながるということで軽蔑されるんです。そういった永遠に変化してやまない新鮮さ、初々しさというところが日本の装飾美術の魅力じゃないかと私は思います。
 そして、西洋から入ってきた美術の分類概念に当てはめると、これは絵画でもあり、工芸でもある、そのどちらでもあり、どちらでもないという両義的、あるいは中間的な性格を持っている。これを一体どのように呼んだらいいかといった問題が残るんですが、これに対してシャーマン・リーというアメリカの学者が「ジャパニーズ・デコラティブ・スタイル」というように言っている。私も少々不満ながらそういうように呼ぶしか無いのではないかと思っていたのですが、この間、あるイギリスの大英博物館の館員の方が「かざり」という言葉をどう英訳しようか考えていて、一つ案が出たといわれるんですね。何かと思って聞いたところ、「ダイナミック・デザイン」だと言う。どういうことだと思ったのですが、どうやら日本でのダイナミックと向こうでのダイナミックという言葉は、同じようで少し違っているらしい。デザインという言葉自体の意味も少し違う。デザインというのは日本でいうよりももっとアップグレードされた重要な概念であるように思いました。私は美術史出身なのですが、美術史は様式史なんです。スタイルの歴史とも考えられる。デザインというものがあることを知りながらデザインというのは別世界の言葉であると思ってあんまりそのことについて考えてこなかった。
しかし、最近その言葉が気になってしょうがない。
 先日、私は多摩美術大学の提携校でもあるパサデナのアートセンターカレッジオブデザインという学校へ寄ったのですが、そのとき同行してくれたアメリカの日本美術コレクターで現代建築にも詳しいジョウ・プライスという人と、デザインとスタイルの違いについて議論しました。私が「あなたはデザインという言葉とスタイルということばとどちらがすきか」と聞いたところ、もちろんデザインだと言ったんです。何故かというとデザインというのは非常にクリエィティブである。スタイルというのはそのコピーじゃないかと言うわけです。これはまた奇抜な意見だと思って聞いてみたところ、彼曰くデザインというものは一つの全く新しいシェイプとフォームを生み出すものだ。そのデザインが優れている場合、他の人がそれにしたがってその類型を作る、そこにスタイルが出来上がるというわけですね。こうした言葉の定義はあまりに独創的に思えて、私はちょっと半信半疑ではあるんですが、鋭い見方ではあります。それが引っ掛かっている訳で、これから私はデザインというものについて、或いは「かざり」という言葉の英訳がダイナミック・デザインと言えるかどうかについて、少し考えていきたいと思っています。

(平成11年6月7日・講演会より抜粋させていただきました)