2愛知教育大学

会場風景

2-1愛知教育大学

中島

愛知教育大学は前身が師範学校なんです。愛知県にあった2つ師範学校が一緒になったものですから、もう教育一本。伝統があって、先輩後輩の関係も厳しく、それから同窓会組織がしっかりしていて、プライドもある。それが20年ぐらい前、教員の需要が減って卒業生全員が教員になれない時代が来まして、教員免許を取らなくても卒業できる「総合学芸課程」を作ったわけです。教育大ですから美術は美術教育としてもともとやっていましたので、分れる時にはいろいろあったようです。

東京芸大系の先生方を中心に新しい学芸課程の中に「造形文化コース」という別の美術のコースを作りました。ですから基本は東京芸大のミニチュア版なんです。ところが教育大に東京芸大の教育方法を当てはめること自体に無理があって、コース内でも問題を抱えていました。そんな紆余曲折の末に現在のカリキュラムがあります。

1年時は、日本美術史、西洋美術史のほかに、ガラス、織、金工、陶芸の4つの授業を1年かけてまわります。2年生になるとその中から2つ選んで、3年になって専攻を選ぶという形を取っています。でも、教育大ですから、そのほかの授業がものすごく沢山ありまして、3年生になって陶芸を選んだとしても、なかなか集中して陶芸教室にいられるわけじゃないんですね。3年生で90分の授業を3コマ、それだけです。4年生は4コマ。それに教員の需要がまた出てきたものですから、教員希望の学生は、教育実習でまるきり1ヵ月抜けるので、6月は授業しているような、してないような感じです。

愛教大生は、デッサンは美大に及ばないけど、学力はバランス良くそこそこできる。作ることは好きだけど美術に一生をかけるほどの執着心はない。ですから美大に行くようなアーティスト志願ではなく、間違っても陶芸作家になるとか、誰も思って来ていない。それが、何も知らずに入って来て、初めてそこで目覚めるというんですかね。

授業は、やきものの造形を考えるということでやってます。モリスに始まって、柳宗悦、河井寛次郎、濱田庄司、リーチ、富本憲吉、八木一夫、熊倉順吉と進めて陶芸の造形、しいては工芸の造形を考えることを基本にしています。僕は学生たちに、「大学に来て轆轤がうまくなってどうするの」と言うんです。今僕が作り方を教えて、カップができて、おばあちゃんにカップできたよって言って喜んでもらって、それで何なの。それだったら、陶芸教室のおばちゃんがカルチャーセンターへ行って作るのとまったく同じじゃないかと。たとえば、有田を調べたら、その背景には大航海時代があって、明末清初の内乱があってとか、何かそういうことまで話が進んで行くとか、そういうことが大学で勉強することじゃないのって、1年生のうちにかなり言うんです。それで、2年生になったら次は、産地の特徴を調べてきて、たとえば瀬戸だったら実は加藤民吉が有田へスパイに行って磁器を持って来たとか、明治の輸出がどうだったとか、話します。

だからうちの学生は1、2年生、3年生も、轆轤が挽けない、手捻りができない、釉薬のことはさっぱり分かっていない。関心を持ったら自分で勉強しろと言っています。それで、陶専任は僕一人ですから、いろんな研究者、それからいろんな作家に来てもらう。ただし、大学で教えていない先生方というのが僕の中にはあって、技術的なことは職人に、ということですね。

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2-2ひとつの課題で100個提出

中島

轆轤はプロの技を1回だけ見せています。あとは好きに挽け。轆轤の回転がどうの、引き上げるのが早い遅いなんてことは、その人がしたいことによって決まると僕は思っています。ですから、「先生、これ厚みどうしましょう」と聞かれた時が僕の出番です。それは自分が好きなようにしたら、という話。ただし、ジャッジは僕がする、面白いか面白くないかは絶対当たるから、それは騙されろという話だけするんです。でも、僕は確信のあることしか言わないようにしているんです。そうすると、技術的なことは何も僕には聞かないっていうことになります。だから先輩に聞いてる。そのうちに、夜遅くまで自分たちで一生懸命やっています。

僕は、1週間に1度だけ全員が集まる時間を作っていて、3年生が8人、4年生8人、院生が2人、18人いるんですけど、みんなが集まってクラス会を開いてる。その時に、学生が自分たちで先生を自由によべる形と、あとは僕の研究費で来てもらう形をとって、僕だけに染まらないよう、いろんな先生方の話を聞いてもらうようにしています。

井上

基本的に多摩美は、授業時間数の半分は実技の授業なんですね。午前午後に分かれて2コマずつで、週に12コマ。各自、自由にできる実技の時間のコマ数、単位数も多いわけなんですよ。それが今のお話を聞くと、いわゆる実技系の授業が3コマしかない。

中島

やっぱり多摩美はすごいね。うちは1、2年生は90分が1つ、3年生は3つ、4年生は4つだけ。でも、真面目なんですよ。とにかくさぼらない。出席率は毎時間9割かな、10割近い。

陶芸を専攻してきた3年生にはまずテクスチャーを100枚作らせます。

その中から手ごたえのあるものを使いましょうと?

中島

いや、1週間頑張ってせいぜい10個。それを並べて本人に「気に入ってるのどれ」って聞くの。そしたら、「私、これ気に入ってる」。「誰か、他に推薦は」と聞いたら「はい、これ」って言うから、「じゃこれも残そう」。後はみんなバケツの中へ。そうすると、次の週は気合いが入る。自分が良いと思うもの、友だちが良いと言うもの、僕が良いと言うもの、捨てられても泣けないもの、それがだんだん分かってくる。それを毎週くり返していると、どんどんやる子が出てくるんですよ。それで僕のいないところで課題の発展形をコソコソと作りだす。

井上

だから、夜になる。

中島

轆轤の課題も100個。3年生の評価をし終わった日に課題を出して、4年次の7月1日までに提出。

井上

重要な日なんですか?

中島

6月は教育実習へ行っちゃう。帰ってきたら100個焼成です。この時にガス窯RF焼成実習をします。必死の湯のみ800個の入った窯は、そりゃあ学生も熱が入りますよ。

1年の最初に轆轤を教えちゃうと、もう轆轤に入ってしまう。最初に轆轤以外のやきもの教えると、轆轤を挽かなくなってしまう。だけど、轆轤はやきものの一番もとで、やきものの良さを引き出すのに轆轤が一番説明しやすいというか、土で作る意味を一番考えられるので、100個作れと。ものすごく大変みたいですよ。

井上

選んできて100個あわせてやるわけ?

中島

100個以上なんてそんな甘いもんじゃない。もう朝から晩まで挽いてますよ。なぜ美術の方を選んだのか。どうしてその中で工芸を選んだのか。それでなおかつ漆じゃなくて、どうして陶芸なのかということを、一応、嘘でもいいから自分なりに自覚して選んでこい。恋愛は好きにしたらいいけど、結婚する時は違うでしょ。3年生で僕を選ぶというのは陶芸と結婚を前提にという付き合いになるから、1、2年の時にいろんな人と付き合ってという授業とは違うよと、先に話しとくんですよ。だからガラスが面白かったらガラスを一生懸命にやれ、織が面白かったら織を一生懸命にやってこい。そのうえでどうしても陶芸、というならおいでと言ってあるので、大丈夫なんですよ。

井上

授業以外の時間をかなり費やして、やりたいことを見つけてるってことですね。

小松

工房は使い放題ですか?

中島

かなり自由です。

小松

そうじゃないと、できないですね。

2-3教員採用試験

中島

僕は院生には、けっこう思い切って自分の意見は言います。制作スペースだけは確保して、自由に作らせる。うちの院は芸術教育なんですよ。だから教育学の授業を中心に忙しい。でも、2年になるとわりと自由なので朝から晩まで頑張ってる。

院2年に、800メートル走のランナーの学生がいて、彼女がしつこく作るわけです。毎朝、ランニングを1、2時間。そのあと授業に出て、それが終ったらやって来て3時ぐらいから7時頃までひたすら。聞くと、作ることが私の生活の一部というか生きてることだという。走ることと一緒のように、はたから見るとすごく無意味に見えることでも、「私はこれがないと生きてる充実感がない」と言うんですよね。かたや院1年で、ものをつくる中に入ってる学生がいるんです。この学生は教員の採用試験に受かっていて、院を受けようか教員になろうかと迷って、最後に自分で院を選んだんです。何度も相談に来ていたんですけど、僕はそんな重大な相談にはのれないので、放っておいたんですけど。夏休みでも、工房にこもって朝から晩までその世界に入りきっちゃってる。

僕はちょうどこの2人の間に、学部生の陶へのアプローチの仕方が収まるかなと考えたりして授業をしています。

井上

短時間でそれだけ集中する人が出てくるのは不思議なぐらい。普通はさぼっちゃう学生が出るような気がするんですが。

中島

与えられたことと自発的なことの違いに気付くというか、芸術の中ではやりたいことをやってもいいんだという。車も走っていない夜中12時の多治見市で道路は右側を歩く。誰もいない駅前で信号が赤でも渡らずに並んで待ってるのは、愛教大の学生なんですよね。それが、表現の世界ではそうじゃなくても良いということがわかるみたい。そうすると急に楽しくなっちゃうんですよね。ただ、さっきの就職の話ですよ。楽しくなることが果たして良いことか、僕には自信がない。

井上

決まった就職を投げ打ってとは、かなり本気ですよね。

中島

本気だけど、それでどうなるのだろう。

井上

いやあ、かなり厳しいですね。

中島

先生になってほしいんですよ。期待してますね。でも、今の先生って大変でしょ。教育大は教師の良い話も悪い話もいっぱい入ってくるので、迷いますよね。

井上

多摩美の卒業生にも毎年何人かは、教職希望者っていますけどね。まず非常勤やりながらとか。毎年1人、2人は、正規採用になってますね。教育実習は短いながらも、多摩美の学生も3週間。

そこで、実習先の高校の美術教員の指導で、絵の具のチューブの出し方などを言われるようです。描き方、ノウハウでしか教えないでしょ。実習した学生が、びっくりしてましたね。あっ、自由に描いちゃいけないんだっていう。

中島

そうですが、そこを突っ込むと教育になっていかない。だって子どもたちは違うもの。そもそも美術に全く興味のない子供も、立って歩きまわってしまう子もいて、それをまとめてということでは。もう教育の根本を考えないと。今は、大学でも先生がお手伝いさんでしょう。小学校へ行ったらもっとすごい。そんなことでいいの?

井上

そういう教育を受けた子たちが、多摩美もしくは他の美術大学に入学している。ここ数年すごく感じるのは、管理されることに慣れてる学生が多い。単純にただ真面目、言われたことはきちんとできる。だから、優秀。僕が学生の頃よりよっぽど優秀で応える能力は高いんだけど、何をしてもいいと言った時に、全く身動きがとれない。

中島

愛教大の陶芸室では、もめ事がないんですよ、毎日上手に解消するの。学生たちはもめることを非常に恐れてる。だから、今の時代に合わないクラス会を作って、時代に合わない議論をさせて。もめさせてみたいんですよ。

井上

今は仕掛けてあげないとできない子が多いんじゃない? 昔は折り合いをうまくつけていったり、警戒しながらでも調整して社会性を身に付けていったのが、仕掛けてあげないとまったく問題収拾ができない。もうだめってことになる。

2-4卒業制作

冨田

中島先生のところでは、卒業制作をするのですか?

中島

ありますよ。後期から始めます。意匠研究所の先生や卒業生の意見も聞いて、卒業制作の計画を発表させています。

冨田

4年の、要するに後期から?

中島

夏休み明けの10月6日ですね、その日にみんな準備してくる。それを後輩たちが見てる前で発表させて、僕の意見を言って、他に来てもらった先生方の意見も聞き。でも、自分が決めることだから、本人がやりたいといったらやらせる。基本的には本人が惚れたことをやらないと。ただこういう問題があるよってアドバイスはする。やっぱり卒業制作はね、自分だけっていうわけにいかない。まだ駆け出しのコースだから、僕も外からの評価も少しは気になる。

井上

それは週4回だけの単位なんですね。

中島

卒業制作の授業はないけど、卒業制作は6単位。

山本

でも、目立ってる作家、結構育ってますよね。

中島

それって今の話で、それがどう今後につながっていくか、その先が少しでも見られればそうでしょって言うけど。多摩美でも、金沢美大でも、大阪芸大でもぼこぼこ、みんな出て来たじゃないですか。今は意匠研究所も沢山出てますよね。

井上

でも。中島さんとこ、いま出てる。

冨田

公募展で、結構、賞取ってる。

中島

先輩後輩の間で、情報交換とかしてるかもしれない。たぶん、先輩が教えるし、加えて我が儘に作っていいと思える環境、この2つがあるからかな。

井上

どちらかというと、テクスチャー的な探り方や、手が動いて出て来たものというのが圧倒的に多いですよね。

中島

もとがデッサン描けないし、美術のことよく分かってないような学生たちだから。

井上

じゃあもう、目の前にある素材とのやり取りの中から。

中島

そう。取りあえず、土と自分という関係で探っていくしか仕方ないということだから。

井上

土を何かに押し込めたような形じゃなくて、自然と出てきたみたいものが多い。

中島

ああ、そうかもしれない。自由、うん、でも。

何でもオッケーとは言ってるけど、ある範囲の中でうまく中島先生が調整というか、指導している気がする。

井上

手がかりが掴みやすいところで学生がやっているような。

中島

反省っていうか……。意匠研究所で関わった人たちがすごく活躍してますよね。でも、作家を育てるにはいいんだけど、あのやり方が大学でやることとはどうしても思えないのよ。クラフト作家養成コースみたいにはしたくはない。

それは、どういう?

中島

だから、作家じゃなくても……。さっき北澤先生が良いことを言われたけど、僕も同じことを思う。要するに、美術の凄く分かる主婦がいたっていいし、やきものを通して美術の世界が見えて、美術の世界が見えて自分が見えてたり外が見えたり。

2-5量と質

つまり作り手だけに限らないで、受け手になってもかまわないというところまで拡げることですね。

中島

そう、作り手なんて僕はぜんぜん思ってない。だって教員になる子がいてもいいし、それからカルチャーセンターで教える子になってもいいし。

冨田

じゃあ中島さんがおっしゃってるのは、大学は何だと。

中島

「教養」。教養ってあるでしょう。文学部を出て小説家になる? 文学部ってどこへ就職するの。文学部でロシア文学を研究した人はどこへ就職するんですかねえ。出版社? 英文科を出た人は英語のプロになるわけではないので、でも英語を勉強したことは無駄じゃないでしょ。

小松

でも、中島先生の熱意って、教養というよりクリエーターを育てようとしてますよね。

冨田

うん、ちょっと違う気が。なんか、立て前のような。

中島

いろいろありますよ。(笑)

北澤

大学における工芸教育のシステムとしてみると、量と質という両面を見極めながらやってこられたわけで、とてもうまくいっている気がします。

大学のシステムというよりは、中島先生のキャラクターというか、ひとりの人格でもって動いてる。

中島

一人ってのはこわいですよ。

井上

忙しくなるというのは、悪いことではないんですね。学生にとって。

多摩美では2年生にすごく過密なスケジュールを与えていまして、毎年その混乱ぶりを見ていてちょっと心が痛むんですね。でも、2年生が終わった時に、こちらが組んだ年間の授業内容について学生の側から評価をしなさいということでアンケートを書いてもらうんですが、必ず3割ぐらいの人が「忙しかった。でもあの時期にあれが必要だと思う」と客観的な評価をしてくれる。ちゃんと分かって、受け止めてくれています。多少忙しくても、学生の体内時計は僕たちよりも小刻みに動いているから。

中島

100個の課題を出す、緩めたらだめなんですよ。とにかく100個作れといって毎週見るんですよ、それから割ってみせないと。やはりそういうパフォーマンスが必要。

井上

「こんな大変なところ」って言う子は、いないんですかね。

やっぱり感動を求めてるということでしょうか。

中島

陶芸って素材とのかかわりとその空気だから、それをやりたい。そのうちにそんなことは取っ払われて、もう僕も、学校も関係無くなってつくっちゃう子だとか、生活のリズムの中に完全に入ってしまう子だとかが出てきます。そういう先輩が教室の中にいると、学生たちも緊張する。僕よりも先輩が怖いんです。変ですよね、院生が言うことはきく。教育大学ってそういうところです。美術大学ではそんなことはあり得ないでしょう。

全員で20人を越えない所帯。だから先輩後輩の関係が密にひとつの空気になれるわけですね。

中島

そうです。でも、うちの場合は、院が先生方の大学の学部のようなもの。たぶん、院を出て、美大ぐらいの時間とレベル。そう思っています。